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修学旅行で感動出来るか?

  • 2013/01/10(木) 19:40:40

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) ■所在地/京都市東山区三十三間堂廻町657 ■宗派/天台宗 ■本尊/千手観音 ■創建年/長寛2年(1165年)■開基/後白河天皇 ■正式名称/蓮華王院(れんげおういん)本堂

(参拝日/平成24年11月1日)

前回の養源院の向かいが、京都有数の観光名所として知られる三十三間堂です。正式名称を「蓮華王院(れんげおういん)」といいます。
和様、入母屋造りの見事な本堂は地上16m、奥行き22m、長さは南北に120mも続いており、木造建築では世界一の長さです。堂内には、中央にある高さ3.4メートルのご本尊・木造千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50列で各500体ずつ、そして裏に1体の合計1,001体の千手観音像が並んでいます。この観音像、正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」といいますが、1,001体もの金ピカの観音像、実際に目にすると実に壮観!一瞬言葉を失うくらいの圧倒的な迫力です。

moguro01.jpg
ん?鈍い光が、なんかイヤ〜な予感…


moguro02.jpg
「ホーッホッホッホッホッ」「またお会いしましたね」

うわぁ!いつの間に…まだいたんですか? もうてっきり帰ったかと。それに、ますます気味悪くなってるんですけど(≧∇≦)

「ホーッホッホッホッホッ!はい、またお声が掛ると思って先回りしておりました。ここには金ピカの仲間もいっぱいいますし…ひょっとして貴方、こちらでも撮影が出来なかったんですね?
こちらの本堂も撮影禁止ですから…そんな貴方のココロのスキマ、いや記事のスキマをお埋めしようとお待ちしておりました」

んんん…(鋭い!実は本堂の中の写真が一枚もない(T . T))

「ホーッホッホッホッホッ!図星でしたか?今回も外からの写真を貼ってお茶を濁すつもりですね。いけませんねー、どうです?わたしが貴方の夢を叶えて差し上げましょうか?いえいえ、お金は一銭もいただきません…」

えっ?本堂の中の撮影をさせてくれるの?って…ふっふっふっふっ
残念!!
もうあるもんねー♪

これだぁー! ドーン!
三十三間堂07
パンフレットからの撮影です。いやぁー凄いです…

「・・・」 喪黒001 「ぅぅ、二度と来るか!」

あれ、もう帰っちゃうの?心なしか後姿が寂しいんですけど(*^^*)
それに小さくなってるし…

さあ、ドーン!の人も帰ったところでお茶を濁す画像を貼っていきますf^_^;)

三十三間堂03
三十三間堂04
定番中の定番、南北120mの本堂です。

三十三間堂09
本堂内部はこうなっています。左側に1,001体の
千手観音像がおわします。

平安時代後期、約30年の院政を行った後白河上皇が、もともと当地に離宮としていた「法住寺殿(ほうじゅうじどの)」の一画に「平清盛」の資財協力により建立したのが蓮華王院本堂(三十三間堂)です。
ところが建長元年(1249年)、市中からの火災により焼失。鎌倉時代の文永3年(1266年)に再建されたのが現在の建物です。当時は朱塗りの外装で、堂内は花や雲文様の極彩色で飾られていました。

三十三間堂08
「木造風神・雷神像」の内「雷神像」で鎌倉再建時の作です。

堂内左右端に安置してあり、風神・雷神像の姿をユーモラスに表現した二つの像は、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』のモデルになったともいわれています。(宗達、お向かいの養源院にもいました)

三十三間堂05
本堂正面、「国宝 三十三間堂」が誇らし気ですが…
内部が撮影禁止なのは残念!

三十三間堂06
こちらも定番の長〜い廊下。

やっぱりドーン!の人(だから誰やねん?)が言ったように、定番写真でお茶を濁しました(綾鷹かよ…)。
それにしても、ここは京都有数の観光名所で修学旅行の定番コースだけあって、私が参拝した日も学生がいっぱいでした。
自分の経験から言っても、修学旅行って、ただダァーっと見て回ってハイッ次!みたいな感じですよね?
ほんとにこれでいいのか?って、多分いいんでしょう。
小中学生でお寺や神社に興味を持ってる子ってまずいないし…(みうらじゅん氏みたいな人は例外f^_^;))お坊さんに説明聞いても多分退屈なだけでしょう(*^^*)

私も修学旅行以来、観光名所という事で意識的に避けていたのもありますが、改めて来てみるとここは本当に凄いです。特に1,000体千手観音には感動しました!やっぱり神社仏閣はある程度歳を取ってから回るものですね。ただあんまり歳食っちゃうと足腰が弱って(特に階段がキツい)回れなくなるけど(^_^;)

三十三間堂10
本堂の真ん中、ご本尊の前の納経所でいただいたご朱印です。
メチャメチャ達筆です。書いていただいている間、外人さんに
取り囲まれました(*^^*) 珍しかったんでしょうね?

右から、奉拝 日付 大悲殿(観音様の事です)蓮華王院です。

今回も写真が少ない分、ドーン!の人(だから誰?)に出ていただいき助かりました(^人^)

次回も京都かな?(なかなか家康公の出番がないな…)

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菊と桐と葵と…血?

  • 2013/01/06(日) 00:26:01

養源院(ようげんいん)■所在地/京都府京都市東山区三十三間堂廻り町656 ■山号/南叡山 ■宗派/浄土真宗遣迎院派 ■本尊/阿弥陀如来 ■創建/文禄3年(1594年) ■開基/淀殿、成伯(開山)

(参拝日/平成24年11月1日)

ここ養源院は、文禄3年(1594年)に豊臣秀吉の側室「淀殿(茶々)」が、父「浅井長政(あざいながまさ)」の二十一回忌に菩提を弔うため秀吉に願って創建したお寺です。寺号の「養源院」は、長政の法名から付けられました。
25年後の元和5年(1619年)に落雷にあい、寺院は焼失しましたが、2代将軍徳川秀忠の正室となった「江(法名・崇源院)」によって伏見城の遺構を移して再興されました。
江によって再興された後、後水尾天皇の中宮として入内した秀忠夫妻の娘、和子(まさこ・東福門院)は、准胝堂を宮中安泰の祈願所に、また本堂には秀忠夫妻と兄の3代将軍家光の位牌を安置して将軍家の位牌所に定めました。現在も養源院には徳川歴代将軍の位牌が祀られています。
特に江と秀忠の位牌には「菊」「桐」「葵」の3つの紋が刻まれています。「菊」は和子が嫁いだ天皇家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋、「葵」はもちろん徳川家を象徴する紋です。
豊臣家と徳川家、徳川家と天皇家との関係の改善を願った和子の切なる気持ちが現れている3つの紋が並ぶ位牌は、日本で唯一ここだけだそうです。

養源院007
こちらが浅井三姉妹の三女「江」です。絶世の美女と言われた信長の妹「お市の方」の娘ですので江も美しかったと言われています…

「江」は浅井長政の三女で、母は織田信長の妹「お市の方」。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長女の「淀殿(茶々)」は豊臣秀吉の側室、次女「初(法名・常高院)」は京極高次の正室です。

この「江」の名前ですが、資料によって「江(ごう)」「小督(おごう)」「江与(えよ)」など様々で、どれが正しいのか分かりませんが、幼名は「督(ごう)」と呼ばれていたようです。「江(ごう)」の字は、生地の近江もしくは江戸に因んでの宛て字の可能性があると言われています。
ちなみに長姉の「淀殿」の本名は「浅井茶々(あざいちゃちゃ)」で、「淀殿・淀君」の名前は秀頼を産むために「淀城」に住んでいた地名からの通称です。

養源院006
こちら養源院は「蓮華王院(三十三間堂)」の東向かいにあります。写真右側が三十三間堂になります。

養源院014
「勅使門」ですが普段は閉ざされています。

養源院005
勅使門と並びの参拝客が入れる「山門」です。右端に怪しげな白い立札が…
「血天井」って何だ?

養源院004
これでした。「桃山御殿 血天井」「宗達筆 杉戸絵」の立札です。
えっ!「血天井」って?←だからぁ、あとの記事を読めば分かります!
またいつもみたいに記事が長いけど(^_^;)

養源院002
参道の先に「本堂」が見えてきます。ん?あれは「葵の御紋」の幔幕では?
「血天井」?気になるんですけど…←あのね、順番があるから( ̄▽ ̄)

養源院玄関
本堂玄関です。やっぱり「葵の御紋」の幔幕!
「血…」←これから見せます( ̄ー ̄) 泣いても知らんぞ!



養源院018
うわあああ!びっくりしたぁ!(>_<) あなた萬福寺さんの…!
もう出番は終わったんじゃ?それに、知らないうちに合体しちゃってるし(*^_^*)

「オーッホッホッホッホッ」
「これからお見せするのはただの『天井』じゃございません。この天井はココロ、人間のココロでございます。
この世は老いも若きも男も女も、ココロのさみしい人ばかり…そんな皆さんのココロのスキマをお埋めいたします。
いいえ、お金は一銭もいただきません。みな様が満足されたら、それが何よりの報酬でございます。」

では、どうぞ!
養源院017
これが「血天井」です!
うわぁぁ!なんか黒いシミがいっぱい!それに足跡みたいなのも付いてるんですけど(@_@。どうしてこんな物が天井に?

それはですね、話は少し長くなりますが…(またですか!短めにお願いします)

豊臣秀吉の死後、次の天下人の座を狙う家康公は、慶長5年(1600年)、度重なる上洛命令を無視した会津の上杉景勝を公儀に反抗する逆臣として征伐すると称し、会津攻めを開始します。
家康公は畿内の守りとして、譜代の家臣である鳥居元忠ら1800名ほどの兵を伏見城に残し、徳川軍主力を率いて大坂から会津に向かいます。

6月16日、家康公は伏見城に宿泊して元忠と酒を酌み交わし
「我は手勢不足のため伏見に残す人数はわずかばかりにて汝には苦労をかける」と述べると
元忠は「いいえ、そうは思いませぬ。天下の無事のためならばこの人数で十分に事足ります。将来殿が天下を取るには一人でも多くの家臣が必要です。
もし変事があって敵の大軍が包囲した時は城に火をかけ討死するまでの事。兵をを多くこの城に残すことは無駄と存じます」と返答しました。
家康公はその言葉に涙を流し、今川家の人質だった幼少の頃からの老臣と深夜まで酒を酌んで別れたと伝わります。

畿内に軍事的空白が生まれたことを好機と見た石田三成は、反家康派の諸大名を糾合して挙兵し、まず手始めに伏見城の守将・鳥居元忠に対して伏見城を明け渡すように要求しましたが、家康公に同城の死守を命じられていた元忠はこれを拒絶したため、西軍は4万の大軍で伏見城を包囲し攻撃を開始しました。これが「関ヶ原の戦い」の前哨戦となる「伏見城の戦い」です。

元忠は最初から玉砕を覚悟で戦い続け、13日間の攻防戦の末に討死し、380人余までに減っていた兵士も「中の御殿」に集まり切腹。ついに伏見城は落城しましたが、元忠の忠節は永く「三河武士の鑑」と称されました。
養源院再興の際にその元忠ら戦死者の菩提を弔うため、多くの兵士の血痕が残った「中の御殿」の血染めの床板を天井に上げ「血天井」としました。
以上が山門前の立札「桃山御殿 血天井」の由来です。

今回もかなり長かったですね(>_<)←そう?「血天井って何?」って何回も聞くから(`_´)

こんな気味の悪い天井板なんか…と思われるでしょうが、ドーン!の人(誰やねん?)が言うように「ココロ、人間のココロでございます」380人余の「三河武士」の忠節の心が染み付いた天井だと思って見てください…合掌。

しか〜し、ドーン!の人が言った「お金は一銭もいただきません。みな様が満足されたら、それが何よりの報酬でございます」とはなかなか参りません。
小さいお寺で拝観は本堂のみですが、拝観料・中学生以上は500円が必要です( ̄▽ ̄)
そのうえ本堂内は一切撮影禁止、「血天井」・「菊・桐・葵」のご位牌も当然撮影禁止。血天井の写真が一枚なのもそのためです。(ん…?)

これからご紹介する、同じく立札に書いてあった「宗達筆 杉戸絵」も撮影禁止なので「絵葉書」からの撮影です。
「俵屋宗達」といえば同じ京都・建仁寺の「風神雷神図屏風」が有名ですが、当時無名だった宗達が認められるきっかけとなった奇抜で斬新な絵を「血天井」の供養のために杉戸に描いています。

養源院011
着色杉戸絵「獅子図」です。

養源院012
着色杉戸絵「波に麒麟図」です。

養源院013
そして着色杉戸絵「白象図」です。

養源院御朱印
こちらがいただいた養源院の御朱印です。書置きでしたので
御朱印帳に糊で貼り付けました(><)

こちらも達筆で読めませんが、右から、奉拝 雨寳殿 養源院です。(葵の御紋の御朱印なし、日付なし)
「雨寳殿(うほうでん)」とは伏見城内にあった豊臣秀吉の学問所「牡丹の間」だそうです。現在は「菊・桐・葵」のご位牌が祀られています。

以上、小さいお寺で拝観料は大きい養源院でした。

喪黒002
「困った方ですなぁ…貴方そんな事をおっしゃると罰が当たりますよ。
いえね、もちろん私は一銭もいただきませんが、京都のお寺で拝観料が
要らない所はございません。ホーッホッホッホッホ…では、私はこれで」

えーッ!あなた、まだいたんですか?次回はもう出て来ないでね(^_^;)

新年早々、お見苦しい物をお見せして大変失礼しましたm(_ _)m
次回も京都が続きます…(ほんとにもう出て来ないだろうな?)

インゲン豆と徳川家

  • 2013/01/03(木) 00:46:52

黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ) ■所在地/京都府宇治市五ヶ庄三番割34 ■山号/黄檗山 ■宗派/黄檗宗大本山 ■本尊/釈迦如来 ■創建/寛文元年(1661年)■開基/隠元隆琦

(参拝日/平成24年11月2日)

新年最初の更新です。今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

今回は、いきなりこんな写真からです(*^^*)
万福寺020
自画像ではありません。が、メタボ感は近いものがある…(*^_^*)

「ドーン」(懐かしい〜)の人でもありません。喪黒
しかしよく似てるな(^-^)「オーッホッホッホッホッ」

新年らしくおめでたい金ピカの七福神「布袋さま」です。(でもちょっと怖いというか不気味…)

久しぶりに京都・宇治に来ました。旅の目的は、京都にある徳川家ゆかりの寺社で御朱印をいただく事です。
いつもは車で出歩いているんですが、たまには新幹線もいいかな?と、三河安城駅から「こだま」に乗り込みました。(三河安城駅は「こだま」しか停まらないので(^_^;))
萬福寺へは京都駅からJR奈良線に乗り換えです。平等院で有名な「宇治」駅の一つ手前、「黄檗(おうばく)」駅で下車、駅からは歩いて7〜8分で到着です。
「黄檗=おうばく」京都人以外なかなか読めないですよね?ここのお寺を知っているか、家の宗派が黄檗宗の人くらいしか読めないんじゃないかな…

ここ萬福寺は、臨済宗・曹洞宗と並ぶ日本三禅宗のひとつ黄檗宗の大本山です。江戸時代の初め寛文元年(1661年)に中国の僧、隠元(いんげん)禅師によって開創されました。
禅師は日本からの度重なる招請に応じ、1654年、63歳の時に弟子20名を伴って来朝。宇治の地でお寺を開くにあたり、寺名を中国の自坊と同じ「黄檗山萬福寺」と名付けました。
建物は中国の明朝様式をとり入れた伽藍配置で、創建当時の姿を今に伝えている数少ないお寺です。(創建が江戸時代と新しいですからね(^_^;))

仏教儀式や作法、お経も全て中国の明の時代そのままの形で受け継がれており、般若心経も「まかはんにゃはらみたしんぎょう…」と唱えるところを、「ポゼポロミトシンキン…」というように唐音(とういん)つまり中国読みで唱えているそうです。

ところで、このお寺を開いた隠元禅師、この方が中国から伝えたのが「インゲン豆」です。他に西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)なども隠元禅師が一緒に日本に伝えたものといわれています。という事は、私たちが日頃食べているこれらの物は、江戸時代初めまでは日本には無かったという事ですよね?(んんん、知らなかった…)
また、お寺で必ず目にする「木魚(もくぎょ)」を本格的に使用したのも隠元さんだそうです。

ちなみに、木魚の生産日本一の県はどこか分かりますか?
答えは、我が故郷「愛知県」です!d(^_^)v
あと、お寺が日本一多い県は?
京都?、NO!。奈良?、NO!。これも意外や意外「愛知県」d(^_^)v
①愛知県 4853ヵ寺 ②大阪府 3414ヵ寺 ③兵庫県 3321ヵ寺 ④京都府 3079ヵ寺・・・奈良県 1838ヵ寺
ダントツで愛知県が多いです。でも有名寺院が多いのは圧倒的に京都・奈良ですね…(これは負けてる!)

万福寺002
万福寺001
中国風の「総門」です。「葵の御紋」の幔幕が張ってあります。
ドーン!「オーッホッホッホッホッ」(くどい〜?)

何故こちらに「葵の御紋」があるのか…

承応3年(1654年)明から来朝した隠元禅師は、万治元年(1658年)江戸へおもむき、4代将軍徳川家綱に拝謁。家綱は隠元に深く帰依し、幕府からは山城国宇治に土地が与えられ、新しい寺が建てられることになりました。寺は寛文元年(1661年)に開創され、造営工事は将軍家や諸大名の援助を受けて延宝7年(1679年)頃に現在の伽藍が完成しています。
隠元は、中国に残してきた弟子たちに「3年後には帰国する」という約束で来朝していましたが、ここに至って日本に留まることを決意し、結局日本に骨を埋めることになりました。

という訳で、徳川幕府が隠元さんのために建立したお寺なので「葵の御紋」なんですね(#^.^#)

境内図
「境内図」です。メチャメチャ広いです!新規参入のお寺では京都市内にこの広さの土地は確保出来なかったでしょうね。

万福寺016
「山門」ですが、あまり中国風な感じはしませんね。
山門からは一直線に諸堂が並ぶ伽藍配置です。

万福寺022
このお寺の玄関でもある「天王殿」です。この中におられるのが…

ほていさん
こちら、ドーン!じゃなくて〜、金ピカの「布袋尊(ほていそん)」です。
中国では「布袋尊」は「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」の化身と言われているそうです。

四天王
左右に布袋尊を守る「四天王」が安置されています。
こちらは四天王の内の「増長天」。ちょっと短足(^_^;)

万福寺023
布袋尊の背後を守る「韋駄天」です。
カッコいいですね!

いずれも来日していた明の仏師、范道生(はん どうせい)の作で中国風の様式で造られています。特に布袋尊は日本ではあまり見られない様式ですね。

万福寺012
「大雄宝殿」日本の一般的な寺院の本堂、仏殿にあたる建物です。

万福寺005
大雄宝殿の前の見事な「香炉」割ったら大変そう!

万福寺011
ご本尊の「釈迦三尊像」です。脇侍は釈迦の十大弟子の阿難(あなん)と大迦葉(だいかしょう)です。

万福寺013
「卍字(まんじ)くずし」の勾欄(手すり)がある「法堂」です。

万福寺004
こちらが「卍字くずし」の勾欄です。まさに中国様式ですね。

万福寺006
「卍字」そのまま(^_^;)

万福寺007
「卍字」「卍字くずし」の影が石畳に…

万福寺003
案内図のように諸堂の間を回廊で繋いでいますが、回廊全てに
「葵の御紋」入りの吊り灯籠があります。

万福寺009
やはり萬福寺で有名な物といえばこれですね。斎堂(食堂)前に吊り下げられている巨大な木製の魚。

これは開梆(魚梆)(かいぱん)と言って、叩いて食事や法要の時間を知らせるためのもので、木魚の原型と言われています。
魚の形をしているのは、魚は昼夜を問わず目を閉じないことから、寝る間を惜しんで修行に精進しなさいという意味で、口に咥えた丸いものは煩悩を表し、魚の背を叩くことで煩悩を吐き出させる、という事だそうです。
あ、これは一般の参拝客は叩けないのでくれぐれも注意してくださいね!(お坊さんが午前11時45分に叩かれるそうです)

万福寺御朱印01
「葵の御紋」入り、ご本尊の御朱印です。
右から、奉拝 大雄宝殿 宇治黄檗山
いやぁ!お寺さんの墨書きは達筆すぎて分かりません(><)
まだこちらは分かりやすい方です。次が読めなかった!

万福寺御朱印02
同じく「葵の御紋」入り、「韋駄天」と「萬徳尊」の御朱印です。
右のページ、奉拝 日付 韋駄天 宇治萬福寺
左のページ、奉拝 日付 萬徳尊 黄檗山
こちらの二つ達筆すぎ!「韋駄天」なんか「駄」しか読めない(T . T)

特にこの二つの墨書き、ブログにアップするにあたって読み返したんですが、最初はさっぱり読めんかった…
でも三つとも葵の御紋入りの御朱印で大満足です!

まだこちらには例の「ドーン」の(失礼!)「布袋尊」の御朱印があるんですが、葵の御紋が押してないので今回はスルーしてしまいました(^_^;) 布袋さん、ごめんなさい(>人<;)
もう一つ萬福寺で有名な物といえば「普茶料理(ふちゃりょうり)」があります。ざっくり言うと中華風精進料理ですが、値段が高いのでスルー!(こちらは謝らないぞ。もっと安く食べさせてよ…)

以上、葵の御紋いっぱいで大満足の萬福寺さんを後にしました。
次回も京都を巡ります…


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