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岡崎に眠る新選組局長 近藤勇

  • 2012/12/27(木) 20:12:38

法蔵寺(ほうぞうじ) ■所在地/愛知県岡崎市本宿町寺山1 ■山号/二村山(にそんざん)■ 宗派/浄土宗西山深草派 ■本尊/阿弥陀如来 ■創建/伝・大宝元年(701年)

(参拝日/平成24年11月18日)

寺伝によれば、法蔵寺は大宝元年(701年)僧行基によって開山され、寺号を法相宗出生寺(しゅっしょうじ)と称していましたが、元中2年(1385年)に浄土宗に改宗。松平親氏(松平氏初代)が深く帰依し、嘉慶元年(1387年)に堂宇を建立、寺号も法蔵寺と改め松平家代々の菩提寺としました。
家康公がまだ竹千代と名乗っていた幼い頃、手習いや漢籍を学びに通った寺ともいわれ、 桶狭間の戦い以後は手厚く保護され、家康公の父「松平広忠」の墓があります。

こちらは岡崎市の東、名鉄本宿駅を降りて国道1号を横断、しばらく南に歩くと旧東海道に突き当たります。
旧東海道を東に歩くこと約5分。橋を渡った右手の小高い山の麓に山門と伽藍が見えてきます。

橋
旧東海道の「法蔵寺橋」です。橋を渡ったすぐ右手が法蔵寺になります。橋の欄干には「はふざうじはし」となっていますね(^_^;)

法蔵寺001
旧東海道沿いに建つ案内板です。

遠景
赤い欄干の橋を渡ると山門です。

法蔵寺002
こちらが山門です。

法蔵寺004
山門をくぐり石段を登った先が鐘楼門です。古刹の雰囲気出てます(*^^*)

法蔵寺005
鐘楼門の先がいよいよ本堂です。

法蔵寺006
本堂前から登って来た道を振り返ります。高台なのでいい景色!

hozoji8.jpg
田舎によくあるパッとしない(あ、失礼!)本堂ですが、実は…

内陣
最初はこちらからお参りしていました…
なんか内陣が凄くない?

庫裏へ廻って御朱印をお願いすると、住職の奥様らしき方に「御朱印帳を書く間、どうぞ本堂へ上がってお参り下さい」と言っていただけました。
さっきから、本堂の中がメチャメチャ気になっていたので、お礼を言ってさっそく上がらせていただきました。
いやぁー!凄いぞ法蔵寺、ここは東照宮かよ?みたいな極彩色です。んんん…!
ハァー、溜め息しか出んな。

法蔵寺008
こちらが本堂の内陣です。どうですか、凄くないですか?

法蔵寺009
手前の天井板とのギャップがまた凄い(^_^;) 奥のソファーが…

法蔵寺010
いつ頃の彫刻、彩色なのか聞くの忘れちゃいました(T . T)

こちらの本堂は本当に見応えがありました。やっぱり侮れんぞ岡崎市!
境内には東照宮もあるとの事(やったぁ!)、御朱印をいただいた後で参拝することに…

六角堂
こちらは本堂と渡り廊下で続く六角堂です。

法蔵寺東照宮
本堂の裏手、石段を登った所に「東照宮」があります。
なんかミニュチアっぽいですが…

法蔵寺012
ほんとにミニュチアっぽいですね(*^_^*) でも不思議とこの場所にはしっくり来ます。
家に一個欲し〜い!(無礼者!頭が高いっ!)

東照宮額
「東照宮」の扁額です。千社札が一枚…(一人しか貼らなかったのか、剥がし忘れか?)

法蔵寺018
黒漆と赤漆の塗に鍍金の金具が映えます。

法蔵寺014
これで組物の彩色が残っていればパーフェクト!ん?奥の板戸に何か絵が…

法蔵寺東照宮10
もしかして軒の組物はもともと白木だったのかも?
こちらも奥の板戸に絵が…

hozoji15.jpg
こんな彩色彫刻の板戸でした。他の東照宮は「唐獅子」
「虎」などの男性的な画題が定番ですが、こちらは
「竹に鶴」、反対側は「松に鶴」の対になっています。

以前の記事で、現存する東照宮は全国に20余社と書きましたが、中にはお稲荷さんの祠のような小っさい社殿もある様です。それに比べたらこちらの東照宮、社殿は非常にコンパクトですが、彫刻の「鶴」もどこか女性的で、私的には準パーフェクト!

広忠墓
社殿をバックにした「松平広忠(家康公の父親)」のお墓。

しかし岡崎市、どこのお寺にも「松平一族」のお墓が多いです。「松平広忠」のお墓も「大樹寺」を始めとしていくつもあります。広忠は戦国武将としては悲運な人でしたが、立派な息子を持ったおかげで、あちこちのお寺にお墓を建てて貰えたのはある意味幸せな人だったのかも…
今もどこか分からない場所で、無縁仏になっている戦国武将はきっといっぱいいるでしょうね。

ところで、ここ法蔵寺にも長い間、無縁仏になっていたある有名な人物がいました!
(これでやっとタイトルに繋がったな…)

近藤勇銅像
それがこの人、この顔にピーンときたら◯◯◯
幕末の有名人です!

ジャジャーン!泣く子も黙る「新選組局長 近藤勇」です。

何故ここ岡崎に近藤さんのお墓があるのか?私は学生時代に「新選組」にハマっていて(今も好きですが)、以前から法蔵寺に近藤さんの「首塚(首を埋めた所)」があることは知っていましたが、訪れるのは今回が初めて。不思議と縁がなかったんですね。今回、岡崎市での御朱印集めの旅でここへもやっと訪れる機会ができました。

京都で「新選組局長」として活躍した近藤勇は、慶応4年4月25日(1868年) 東京板橋の刑場で賊軍として斬首、享年35歳でした。
首は京都三条大橋西に罪人として晒されましたが同士が3晩目に密かに持出し、当寺の本山である京都誓願寺に持ち込み、勇が生前敬慕していた弥空義天和尚に埋葬を託しましたが、和尚は当時ここ法蔵寺に転任していたため岡崎に運び、密かにこの場所に埋葬したといわれています。

当時は逆賊という事で無縁仏として分からないように埋葬していましたが、昭和33年、京都誓願寺で「近藤勇の首は岡崎法蔵寺にあり」という記録が見つかり、また他の文献とも照合した結果、この地を掘り返したところ台座や遺品などが出土したそうです。しかし遺骨は見つからなかったとか…(んん!あったけど発表しなかったとか?)
他にも京都に埋葬されているとの説もありますので、ここに必ず埋葬されているとは言えないようです。

「新選組」といえば、熱狂的なファンが多いもののアンチも多く、ただの人斬り集団とか、池田屋事件では「勤皇の志士」を多数殺害して明治維新を遅らせた元凶(近藤さんが斬首されたのも池田屋事件の恨み)とも言われますが、私論を言えば、「新選組=警察(トップは会津藩)」が「勤皇の志士と称するテロリスト集団」を取り締まっただけじゃないの?それのどこが悪いの?現代でも同じことしてるやん!警察がテロリストを取り締まらなくて誰がやるの?(もちろん異論はあるでしょうが私論なので(^_^;))

幕末の京都はとにかく物騒で、テロが横行し「天誅!」と称して連日の様に幕府の役人や商人が殺され、首が晒されるという最悪な状況。その京都へ臨時警察として幕府から「京都守護職」を無理やり押し付けられて赴任したのが「会津藩」です。テロリスト取締りの実行部隊=機動隊員が「新選組」という図式だと思いますが違うかなぁ?
特に会津藩のトップ「松平容保(まつだいらかたもり)」という殿様は勤皇家で、時の天皇「孝明帝」からの信頼も厚く、誠実さを愛されて「朕の傍から離れるでない」とまで言われた人でした。

そんな勤皇家の「会津藩」と「新選組」が何故「逆賊」に貶められたのか?
あ、またまた熱く語りそうなので止めます(^_^;)せっかく前半写真が多くて見やすかったのにね…

誠の旗
「誠」の旗が色褪せて侘しいですね…
こういう物は飾らない方がよくない?

首塚
下の四角な台座ごと埋められていたんですかね?
台座に見覚えのある名前が…

法蔵寺022
一番右に「土方歳三」の名前が!この首塚建立に関わってたのかな?

土方001
この人です。新選組、鬼の副長! 「土方歳三」
こちらは自作フィギュアです(^_^;)
「函館戦争」で雪原に立つ洋装の土方さんのイメージで作っています。

徳川幕府に殉じた近藤勇、もし本当にここに遺骨が眠っているなら、家康公のゆかりのお寺に葬って貰って幸せでしょうね…合掌。
以上「岡崎に眠る新選組局長 近藤勇」でした。

そうそう、御朱印の紹介を忘れるところでした!御朱印紹介の記事なのか、ただ熱く語っているだけなのか、フィギュアの紹介なのか、分からんようになってますm(_ _)m

法蔵寺G
住職の奥様に書いていただいた御朱印です。
右から、奉拝 日付 阿弥陀如来 法蔵寺です。
こちらは葵の御紋の御朱印はございません(*^_^*)

次回は、未定です。新年から墓だの、首塚だのは迷惑でしょうし(笑)

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