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久能山東照宮

  • 2012/12/10(月) 10:33:34

久能山東照宮(くのうざんとうしょうぐう) ■所在地/静岡市駿河区根古屋390
■御祭神/贈正一位 徳川家康公 ■相殿/贈正一位 豊臣秀吉公・贈正一位 織田信長公 ■創建/元和3年(1617年)


(参拝日/平成24年10月5日)

今年二度目の参拝です。皆さんは既にご存知かと思いますが、久能山東照宮には道路が伸びていないため、自動車の直接乗り入れが出来ません。こちらへの参拝は「静岡鉄道 日本平ロープウェイ」を利用するか「久能山下からの徒歩ルート」になります。
以前参拝した時には何も知らず、カーナビに「久能山東照宮」と入れ、さあ出発!駿河湾沿いの清水バイパスを有名な石垣イチゴのお店を眺めながらの快適なドライブ…東照宮駐車場の看板が見えて来たのでIN。
さあ、それからが大変です!目指す東照宮は遥か山の上…山下からは石段が1159段も続きます(T . T)途中何度も休憩しながら、上から降りてくる人に「あとどれくらいですか?」と聞きまくり…「もう少しだから頑張って!」←実はこの台詞、人に同じことを聞かれた時に自分も使いますが(笑)
「……」「……」言葉もなく、はぁーはぁー喘ぎながら30分も掛かりやっと山頂に到着!(タバコ止めなきゃ)
そんな大変な思いで参拝しました。お寺や神社って何でこんな高い所に造るんですかね?

で、今回はカーナビには「日本平ロープウェイ」と迷わず入力。皆さんも参拝される時にはぜひこちらをお勧めしますf^_^;)山上駅から東照宮までは歩いてすぐですよ。日本平には無料大駐車場あり。

東照宮めぐりはまずここからと、楼門手前の社務所で御朱印帳を購入し、帰りに頂ける様、御朱印帳をお預けして先ずは参拝です。

東照宮御朱印帳のコピー
こちら、久能山東照宮専用の葵の御紋入り、唐獅子の刺繍入りの豪華な
御朱印帳です。

東照宮といえば日光の東照宮が有名ですが、江戸時代には全国に500余社(現在では20余社)の東照宮があったそうですが実は、ここ久能山が東照宮の元祖なんです。
御祭神の徳川家康公は、将軍職を三男の秀忠に譲ると晩年は静岡に駿府城を建てて隠居。大御所として江戸と駿府の二元政治を行なっていましたが、元和2年(1616年)4月17日に75歳で亡くなりました。
亡くなるにあたり、「自分の死後、位牌は三河(岡崎)の大樹寺に、遺骸は立ち姿のまま久能山に西を向いて埋葬すること、一周忌を過ぎたら日光に小さな祠を建て勧請せよ、吾れ関八州の鎮護とならん。」と遺言されたそうです。
遺命の通りに遺骸はただちに久能山に遷され、二代将軍秀忠はここに家康公を祀る神社を造営することを命じ、大工棟梁には中井正清が選ばれ同年5月に着工、1年7ヶ月の工期で建てられたのが久能山東照宮です。
因みに、日光に小さな祠と言うのが日光東照宮です。行かれた方は分かると思いますが、どこが小さな祠?ですよね。実は秀忠が建てた東照宮は今の様な規模ではなく、もっと質素な物だったらしいですが家康公を崇拝する三代将軍家光が今の規模に建て替えた物だそうです。

社殿は当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式で、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型となりました。
また、棟梁を担当した中井正清はその生涯で名古屋城(旧国宝・国指定特別史跡)・京都仁和寺(重要文化財)・京都二条城(国宝・世界文化遺産)など現在に残る重要な建造物を手掛けていますが、久能山東照宮は中井正清の晩年の傑作であるという評価から、平成22年に国宝に指定されています。

画像 141
楼門です。二階部分には後水尾天皇の宸筆(天皇自ら書かれた書)である
「東照大権現」の扁額(へんがく)が掲げられています。

唐門
拝殿正面の豪華な唐門ですが、ここからは入れません。

画像 156
透塀沿いに右手に廻ってこちらの門から拝殿に入ります。

画像 157
社殿(本殿・石ノ間・拝殿)。社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続
した「権現造」です。

画像 147
唐門の扉ですが、な、な、なんと一枚板の透かし彫り
だそうです!絶句…

画像 137
朝陽に輝く金箔瓦と社殿。ありがたや…

画像 153
こちらは社殿左側。やっぱり朝陽に輝いています。黒漆に金箔、金押し
金具が映えます!唐獅子がいい感じですね。

画像 139
極彩色の軒の組物。もちろん葵の御紋は金ですね!

画像 143
唐獅子の彫刻の金箔が朝陽に当たってピカピカで眩しい!

画像 155
神廟(しんびょう)家康公のお墓です。

画像 154
立派な石塔ですね。葵の御紋もしっかり彫られています。

家康公の遺骸が埋葬された場所に立つ神廟です。当初、この地には小さな祠(ほこら)が建てられていましたが、三代将軍徳川家光によって高さ5.5m、まわり8mの石塔が建てられ、現在に至っているそうです。家康公の遺命に従い、西向きに建てられています。
なぜ西向きなのか?家康公が亡くなった時は、豊臣家が滅んだとは言え、まだ豊臣恩顧の西国大名も多く残り、政情も不安定でしたので自分は死んでも、西国に向けて睨みを利かせようと言う意図だったと思います。(故郷の岡崎に向いていると言う説もあるそうですが…)

家康公の遺骸は何処に…?

最初は確かに、ここ久能山に葬られたのは間違いない様ですが、遺言どおり一周忌の後に日光へ改葬されていますので遺骸は日光に?
実はちょうどこちらを参拝している時に、団体さん(10人位)に説明をしている神職さんがおられたので、お話を聞いていましたら、
「私たち神職は今も家康公は、ここ久能山に眠っておられると信じております。」
「誰もお墓の中を見たものはいないですし、空っぽのお墓をお守りしてるのも何ですしね(笑)」と話されていました。

確かに、日光も久能山もどちらも葬った人以外は、誰もお墓の中を見た人はいないので永遠?の謎かも…

久能山G
こちらが戴いた久能山東照宮の御朱印
右から、奉拝 久能山東照宮 日付です。

参拝を済ませ、帰りに社務所で預けておいた御朱印帳に戴いた御朱印です。うーん!達筆ですね〜でも、一つだけ残念な事が…
分かりますか?御朱印のどこにも葵の御紋が入ってなーーーーーい!!
元祖東照宮なのに何故??後日ご紹介する他の東照宮はみんな葵の御紋入りなのに(><)

家康公の遺骸は何処に?と同じくらいの謎だな!これは……

次回は、家康公の故郷、愛知県岡崎市の大樹寺を訪ねます。

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