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入山料1000倍で見る「天下布武」②

  • 2013/01/19(土) 23:07:51

安土城址(あづちじょうあと) ■所在地/滋賀県近江八幡市安土町下豊浦 ■城郭構造/山城 ■天守構造/望楼型地上6階地下1階(天守現存せず)■築城主/織田信長 ■築城年/天正4年(1576年)

(訪問日/平成25年1月11日)

安土城34
安土城天主6階 原寸復元(信長の館)
信長の伝記『信長公記』に書かれた安土城の項「上七重め 三間四方 御座敷の内 皆金なり…」を復元しています。

安土城37
安土城天主5階 原寸復元(信長の館)
同じく「六重め 八角四間あり 外柱は朱なり 内柱は皆金なり…」の復元です。

前回の続きです。

安土城01
滋賀院門跡でも紹介した「穴太衆積み(あのうしゅうづみ)」の石垣を見ながら登って行きます。

まだまだ石段が続きますが、カット!(面白くない写真なので)

安土城18
途中にある信長の小姓として有名な「伝・森蘭丸邸」跡ですが、こちらは山麓の秀吉邸跡と違って荒れ放題で手付かずです。蘭丸、可哀想過ぎ!
信長と一緒に死んでるのに秀吉邸との扱いの違いは何だ( ̄Д ̄)ノ

安土城12
城の主郭部へ通じる「黒金門(くろがねもん)」跡が見えてきます。

安土城19
黒金門を過ぎると「信長廟」がある二ノ丸と本丸、天主です。

まずは信長のお墓参り、二ノ丸の「信長廟」へ。こちらは信長の一周忌に秀吉が建てた墓ですが、本能寺からは信長の遺骨が見つからなかったため、太刀その他の遺品を埋葬したそうです。

安土城古写真03
おッと!いきなりまた古い写真、「信長廟」の古写真です。次の今の写真をと比べて見てください(^_^;)

安土城47
こちらが現在の「信長廟」、今は立ち入り禁止になっていますが昔は自由に参拝出来た様ですね。門の屋根も杮葺きから瓦葺きに変わっています。

安土城17
天主台から見た「信長廟」何か不思議なお墓です…

ただ台の上に石が乗っているだけですが、この石こそ信長が自分のご神体として、誕生日には礼拝するようにと家臣や領民に強要した「盆山(ボンサン)」ではないかといわれています。
信長は賽銭まで取ってこの石を拝ませていたらしいので、今の摠見寺がやっている事もあながち責められんか…
ガメつさは信長譲り!とでも思っていらっしゃるかも(*^_^*)

安土城14
などとブツクサ言っていると本丸跡に出ますが、当然何も無く御殿の礎石があるだけです。

ところが礎石の配置などから次の写真の様な建物だった事が判明しました。

安土城本丸御殿02
本丸表御殿・天主復元CG(復元:三浦正幸/CG制作:株式会社エス) 

京都御所の「清涼殿(せいりょうでん)」と同じ間取りだった事が分かりました。
これにより本丸表御殿は、天皇を迎えるために建てられた行幸御殿だったと推定されています。

安土城復元01
本丸鳥瞰復元CG(復元:三浦正幸/CG制作:株式会社エス) 

左から「本丸御殿」「天主」、右が現在信長廟のある二ノ丸の「江雲寺御殿」です。
山上の狭い場所にビッシリ、こんなに隙間なく建て込んでいて大丈夫か?と思いますが、焼け落ちたのは天主と本丸だけだったそうです。しかし、そうなると火元がどこか?安土城炎上は、ますます謎になってくるなぁ…
「江雲寺御殿」は、信長や家族が住んでいた常の御殿であったため、秀吉は安土廃城後に二ノ丸を選んでここに信長の墓を建てています。

安土城15
ここからが「天主」へ続く石段です。

安土城20
やっと頂上の「天主台」です。「石くら」と呼ばれる地下1階部分になります。
ここに6階建ての豪華な天主が建っていたんですね…

地下1階にしては石垣の高さが低いですが、築城当時は今の倍以上の高さでした。綺麗に礎石が並んでいますが、これは昭和3年(1928年)の発掘調査で掘り出されたものでそれ以前は土に埋れていました。今の石垣もその時に積み直されたものです。
ところで、先ほどから「天主」 と言っていますが、お城の象徴的な建物、一番高い建物を普通は「天守」「天守閣」と呼んでいます。「天主」は信長が建てた「岐阜城」の麓にあった四階建ての御殿に命名したのが最初といわれており、この安土城も「天主」と呼んでいました。

安土城24
「天主台」跡の案内板、平面が不等辺六角形だった事が分かります。

安土城21
発掘調査の結果、中央にだけ礎石がなかった事も判明しました。

高層の木造建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが多くの日本建築の特徴ですが、安土城天主の礎石は中央部の1つだけが欠けていました。(他の礎石は全て現存しています)
この事から、天主には3階まで階層を貫く吹き抜けがあったという有名な説の証拠ではないか?と言われていますが、中央には何もなかった訳ではなく、柱穴は残っていたそうです。(ここに心柱が建っていた可能性もあります)
3階までの吹き抜けでは、構造的には問題があり過ぎ6階建ての建物を支えきれないなど、諸説入り乱れて今も天主の復元に関しては結論は出ていない様です。まさに安土城は「幻の城」です。
先年公開された安土城築城に関わる映画「火天の城」では、吹き抜けがあったのか?なかったのか?を興味深く描いています。

安土城22
天主台にある石垣です。天主炎上の際の火勢で赤く焼けただれています(T_T;)

自分的にはですが、いつもこの天主跡に来ると石垣に座りボーッと小一時間は過ごせてしまいます。ここは一番好きな場所ですね(^-^; 想像が膨らみませんか?ここに一体どんな天主が建っていたんだろう?信長はここから何を眺めていたのか…とか。

安土城48
同じ景色(当時は周りは湖ですが)を信長も眺めたんでしょうね(実際はもっと高い天主の上から)

たまには石垣の周りをゴソゴソ、金箔瓦まだ埋まってへんやろか…?とか(^O^)
この前ある方のブログを覗いていたら、多分滋賀県の方だと思いますが、自分の父親が子供の頃ここへよく遊びに来て、この辺を掘ると金箔瓦の破片がゴロゴロ出てきたとか…(うわぁ!凄いーっ!羨ましい〜)

金箔瓦
安土考古博物館に展示の搦手口(からめてぐち)から出土のほぼ完全な金箔瓦です。

こんなんの破片でも見つけたらお宝!お宝!くっくっ( ´艸`)
もう出てこないよなぁ?一時間近く探したけど(オイオイ!信長に思いを馳せてたんじゃないのかよ!まったくヽ(`Д´)ノ)
でも摠見寺も金箔瓦を持ってるらしいよ(いいの!自分の持山だから)
えーっ!そう?でも入山料と別に拝観料取って見せてるって(そうなの?いくら?)
なんでもお抹茶付きで500円だとか?(うーん(ーー;)トータルで1500円かぁ?坊主○…)もう止めときますが(。-_-。)ナンマンダブ…

安土城総見寺道
天主跡で信長に思いを馳せたあと(ホントかよ?)別ルートで旧摠見寺へ向かいます。それにしてもまた石段が…

旧摠見寺は、安土城築城に伴い信長によって城郭内に建立されました。本丸、天主の炎上の際にも類焼を免がれ、重要文化財に指定されている二王門と三重塔が創建当時のまま残っています。
つまり、この安土山の中で唯一、信長の時代を偲ぶことができる数少ない貴重な遺構です。

安土城古写真04
またまた古い写真を出しましたが、「三重塔」と「二王門」の古写真です。
この二枚の景色は現在とほとんど変っていません。

今回は何枚か古い写真を紹介していますが、なかなか見ることが出来ない物ですので、現在の景色と比べるのも面白いかな?とアップしてみました。(多分大正か昭和初期頃ではないかと思います)

安土城46
現在の旧摠見寺「三重塔」。まあ、塔なんで
変わろうにも変わり様もないですが…

安土城26
別アングルから見ました。

安土城28
旧摠見寺「本堂」跡です。

18世紀末の段階では仁王門、書院、方丈など22棟の建物がありましたが、安政元年(1854年)本堂など主要な建物のほとんどを焼失し、徳川家康邸跡と伝えられる現在の場所に仮本堂を建てています。

安土城33
「本堂」跡から琵琶湖を望みます。こちら側はまだ湖が残っています。

安土城31
こちらも創建当時のままの「二王門」です。

安土城32
古写真と同じアングルですが、こちらも変わり様がないか?さっきの忘れちゃったらまた戻って見てね(^-^;

仁王門から石段を降りると「百々橋口(どどばしぐち)」と言われる安土城への別の登城ルートがあります。つまり私が降りてきた道ですが、このルートが信長の家臣の登城道だったと推定されています。

安土城40
こちらが仁王門から降りてきた「百々橋口(どどばしぐち)」です。

以前はこちらからも安土山に登れましたが、現在は通行止めにしてあります。
仁王門から降りてきてもここには出て来れない訳ですね。山裾をぐるっと回って大手道の前に出てくる様にルートが変更してあります。関所を一つにして入山料を徴収する仕組みにしちゃったと(>_<)
うううーん!まるでどこかの観光寺院のようだな…

安土城41
「百々橋(どどばし)」です。昔はこの橋を渡って登ったこともあったな…

この日は、めいっぱい見てやろうと、ルート通り山裾を回って大手道の前に出て、もう一度石段を登っていると「こんにちは!入山料払いましたか?」と後ろから声が。
石段を駆け上がって来た(ものすごいスピード)のは関所にいた摠見寺のお坊さん。えっ?もう一回見てるんですけど何か?「へぇー?もう一回ね…」(ん?二回見たらいかんのかい!)
たった1時間前に入山料払って、貴方に御朱印をいただいたのに、私の事もう忘れちゃったの?(それにこの日は私以外に3人しかいなかった…)

安土総見寺御朱印
そんなこんなで、関所のお坊さんにいただいた、ありがたーい
摠見寺の御朱印です。
右から、奉拝 日付 大悲殿 安土城主織田信長公
菩提所 摠見寺 です。

書置きで、それも「印刷」でした。
そりゃあ、自分で墨書きもしてないから私の事なんか記憶に残らんわな?それともよっぽど私の髪、いや影が薄いのか?(髪が薄いのは帽子被ってて分からんはずだし…)
どっちにしてもナンマンダブ、ナンマンダブ…tiーnn!(>人<)

次回はどこにしよう?

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この記事に対するコメント

わかりやすいです^^

おはようございます。
薄荷脳70と申します。
以前から興味のあった安土城址ですが、なかなか全体像が不明だったのですが、貴ブログの懇切丁寧な説明でよく理解できました。
是非一度は行ってみたいですが、やはり遠いですからね;;
でも、その分充分楽しませていただきました。
ありがとうございました。

  • 投稿者: 薄荷脳70
  • 2013/01/24(木) 05:25:29
  • [編集]

ご覧戴きありがとうございます

薄荷脳70さま

コメントいただきありがとうございますm(_ _)m
分かりやすいと言っていただき恐縮です。

安土城跡はいろんな方がアップしておられるので
何とか違いが出ればと四苦八苦していますf^_^;)
お寺の悪口を散々書いてしまいましたが、素敵な
ところですのでぜひ一度お出掛け下さい。
岐阜城もそうですが、ここに登ると天下を取った
気分になれます(^_^)v

  • 投稿者: みっちゃん
  • 2013/01/24(木) 15:50:45
  • [編集]

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