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傷だらけのローザ

  • 2013/01/26(土) 23:51:10

七寺(ななつでら) ■所在地/愛知県名古屋市中区大須2丁目28-5 ■正式名/稲園山 正覚院 長福寺 ■宗派/真言宗智山派 ■本尊/聖観世音菩薩 ■創建年/(伝)天平7年(735年)

(参拝日/平成24年11月6日)

こちら七寺(ななつでら)は、正式名を「稲園山 長福寺(とうえんざん ちょうふくじ)」と言います。

寺伝によれば、天平7年(735年)尾張国中島郡萱津(現在の愛知県あま市)に行基が開山。当時は正覚院と称していました。創建時は七堂伽藍(7区の仏閣と12の僧坊)を有した事から、これにちなんで七寺と呼ばれるようになりました。
その後、仁安2年(1167年)に阿弥陀如来像と観音菩薩・勢至菩薩像を本尊とし、現在の稲沢市七ツ寺町に移転。
天正19年(1591年)には豊臣秀吉により清洲に寺を移して三度目の再建をされています。

慶長16年(1611年)家康公の「清洲越し(名古屋築城にあたり清洲の町ごと名古屋に引越したこと)」の命により現在地に移されましたが、本堂を清洲から移築し、失われていた諸堂も整備されました。
元禄13年(1700年)には尾張藩2代藩主・徳川光友(家康公の孫)により三重塔が再建され、享保15年(1730年)より尾張徳川家の祈願所となり徳川幕府の繁栄を支え続けてきました。

尾張徳川家の庇護もあり、名古屋でも有数の大寺院として、当時の大須界隈では大須観音(真福寺)や名古屋御坊(西本願時)を凌ぐ寺勢を誇っていましたが、昭和20年(1945年)3月19日の名古屋大空襲で経蔵以外の国宝であった本堂、三重塔など七堂伽藍の全てを焼失。境内のほとんどは戦後復興に伴う再開発で大須の町の一部となり、現在では街中にある小さなお寺になっています。(悲しすぎるほど小さい…)

七寺01
「準別格本山七寺」の立派な石柱ですが…

一時は廃れていた大須界隈も現在では若者の集まる街として休日などは大変な混雑で、大須のシンボル「大須観音」の参拝客も多くなりましたが、観音さんのお隣りと言ってもいい距離なのにここ「七寺」はほとんど参拝客がいません。まず知らない人の方が多いでしょう。(実は私も今回初めて参拝しましたf^_^;))

七寺05
現在の本堂。左端にサポーターの様な物を巻いた仏様がありますが、後ほど詳しく紹介します。

七寺08
「尾張名所図会」に描かれた江戸時代の七寺。現在では考えられない規模です。

(ところでさぁ!またお寺の説明ばっかりなんだけど、いい写真ってまだぁ?さっきからずっと待ってるんだけど…)

これから見せますから、ドーン!これだぁ(^_^)b

七寺12
明治末期の絵葉書「七ツ寺」の境内、三重塔です。

(オオッ!これって「尾張名所図会」の三重塔?)
そうです。徳川光友が再建した江戸時代初期(1700年)当時のままの姿です。

七寺16
岩井通り(現在の大須通り)から見た昭和初期の
「本堂」と「三重塔」。いやぁー壮観ですね!

七寺18
上の写真と同じアングルから見た現在の七寺です。
今、同じ通りから見えるのは「七寺」のグリーンの
看板と、下の写真にもある「経蔵」だけです。

七寺19
経蔵の位置からすると右の白いビル辺りが三重塔の跡か?

七寺11
こちらは大正〜昭和初期の絵葉書「七寺三重塔」境内から見た景色です。三重塔の右下の小さな土蔵が「経蔵」です。

七寺14
上の写真に写っていた、名古屋大空襲でも焼け残った現在の「経蔵」。往時を偲ぶことが出来る七寺の遺構です。

実はもう一つ空襲で焼け残った遺構があります。次の写真を見て下さい。

七寺10
大正〜昭和初期と思われる七寺「本堂(国宝)」 の写真です。左に青銅の「大日如来坐像」が写っています。

今も同じ場所に座っておられる、この露座(ろざ・屋根のない所に座る仏)の「大日如来坐像」が、現在の写真に写っていたサポーターを巻いた仏様です。

七寺04
傷だらけの痛々しいお姿です(T . T) 空襲の時には、真っ赤な炎に包まれていたそうです…

七寺07
背面はもっと悲惨な状態になっています。もう少し
きれいに補修して欲しかった…
まるでサポーターぐるぐる巻の相撲取りみたいです。

名古屋大空襲から68年、忘れられつつある戦争の悲惨さと、名古屋市内に今も残る空襲の爪痕を後世に伝える遺構として、今のままの御姿で我慢していただくのも仕方が無い事なのかも…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏(>人<)

(ほー?たまにはいいこと言うじゃないか…)
そう?よかったf^_^;) たまにはこれくらい言わなきゃね。
(それにしては、タイトルが「傷だらけのローザ」って?)
えーッ?わかんないかな?
「オー! ローザ(ローザ)君を 誰が、ローザ(ローザ)そんなにしたの、 ローザ(ローザ)悪い夢は 忘れてしま〜ぉ〜お ♪」
「チャーンチャンチャン!チャーンチャンチャン!チャチャ〜ン♪ 」
「こ〜の腕に おすがりよー、今 僕は 狂おしく 祈りも〜誓いも〜♪」
(やめなさいって!それって、もしかして西城秀樹の…?)
そう、「傷だらけのローザ」♪
(\(ー ー;)たわけ!それは「傷だらけのローラ」!)
だからぁ、ローラ ローザ 露ーザ 露座 大日如来の露座\(^o^)/「ヒデキ〜!」
(・・・)
(せっかく褒めてやったのに…)

七寺13
こちらも岩井通り(大須通り)と「七寺」の昭和初期の着色写真。

左に焼失した本堂、焼け残ったローザ、じゃなくて露座の大日如来坐像、同じく焼け残った経蔵、焼失した今は無き三重塔がはっきり写っています。「尾張名所図会」と比べると江戸時代の境内は、この頃よりも数倍広かった事が分かります。奥に見える大屋根が大須観音の本堂(戦災焼失前)です。
名古屋有数の大寺院といわれた面影が、まだ戦災までは残っていた貴重な写真です。

七寺15
七寺パンフレットによる、戦災焼失前の本堂内、平安時代後期作の「阿弥陀三尊像」(国宝)と木造持国天・毘沙門天像(国宝)の写真です。

1945年3月19日の名古屋大空襲の際に、本尊・阿弥陀如来坐像の両脇侍だった「観音菩薩像・勢至菩薩像」の二体と勢至菩薩像の光背のみが、炎の中から救い出されて何とか焼失を免れましたが、後の仏像は大き過ぎて持ち出せず残念ながら焼失してしまいました。
ご本尊の阿弥陀如来は首だけでも切り落として救い出そうとされたそうですが、火のまわりが早くて無理だったそうです。現在は焼け残った「観音菩薩像・勢至菩薩像」の二体が国の重要文化財に指定され、ご本尊として小さな本堂に安置されています。

七寺20
現在の本堂内陣です。上の戦災前の写真2枚も飾ってあります。

七寺御朱印
そんな悲しい歴史のある「七寺」でいただいた
御朱印です。
右から、奉拝 日付 大勢至 聖観音 両菩薩
稲園山 七寺 です。

何かしんみりしちゃった七寺を後に「大須観音」へ向かいます。
旦那、まだまだいい写真がありますぜ…
(ところで、さっきから誰に喋ってるの?)
「祈りも〜 誓いも〜 この愛も捧げるーぅ ロ〜ォーォザー♪」

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