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遊女に化けたお稲荷さん

  • 2013/02/05(火) 23:18:42

萬松寺(ばんしょうじ) ■所在地/愛知県名古屋市中区大須3丁目 ■正式名/亀岳林 萬松寺(きがくりん ばんしょうじ)■宗派/曹洞宗 ■本尊/十一面観音 ■創建年/天文9年(1540年)■開基/織田信秀

(参拝日/平成24年11月6日)

万松寺06

ここ萬松寺は、天文9年(1540年)織田信長の父、信秀により織田家の菩提寺として、織田家の城であった那古野城(なごやじょう・現在の名古屋城二之丸付近)の南に建立されました。当時は現在の中区錦と丸の内2丁目・3丁目にまたがる広大な寺領を持っていましたが、慶長15年(1610年)家康公が名古屋城築城の際に小林村(現在の大須3丁目)に移転させました。
移転後も尾張徳川家の朱印寺として篤く信仰され、尾張藩初代藩主・徳川義直の正室春姫(高原院)の霊廟が置かれるなどして大いに栄えました。この春姫の御霊屋(おたまや)が現在の名古屋東照宮の社殿です。(詳しくは「名古屋東照宮」の記事を見てくださいf^_^;))

万松寺01
「尾張名所図会」に描かれた江戸時代の「萬松寺」。広大な寺域を
誇っていた事が分かります。

明治維新後は徐々に衰退し、大正元年(1912年)に37世住職の大円覚典和尚が寺領22,000坪の大部分を開放し、開拓された町は現在の大須3丁目となり、萬松寺は再び賑わいを取り戻しました。
しかし、昭和20年(1945年)3月12日の名古屋大空襲で大須一帯は焼け野原となり、本堂は平成になって再建されました。現在も大須一帯の大地主であり、家電店などが入る複合ビルの万松寺ビル、万松寺パーキングなどを所有しています。

萬松寺といえば、織田信秀の葬儀が行われた場所として有名ですね。この時、信長は異様な風体で現れ、父親の位牌に抹香を投げつける事件を起こし「尾張の大うつけ」と呼ばれました。この時の萬松寺は現在の場所ではなく、大須に移転する前の萬松寺です。
また家康公は、6歳で人質として今川義元の元に送られる途中で織田信秀に引き渡され、この寺で9歳まで過ごしたといわれています。

万松寺11
万松寺パーキングから見た現在の「萬松寺」本堂。

上から見るとゴチャゴチャして、本堂もメチャメチャ狭苦しい感じですが、まあこの辺一帯の地主さんなので、これはこれでいいんでしょう(*^^*)
しかし、この建て込み様は凄いですね!まるで隙間がなくて火事になったら大変(>_<) 左下に見えるアーチ状の屋根が万松寺商店街のアーケードになります。

万松寺10
昭和初期の「万松寺筋」です。

前回の「大須観音」でも紹介しましたが、大正12年(1923年)に「旭遊廓」が中村へ移転し、芸妓小屋や小料理屋は姿を消しました。しかし、昭和に入ると次々に発展会が結成され、名古屋を代表する商業地として発展してきました。

万松寺09
現在の「万松寺商店街」です。このアメ横ビルも萬松寺の所有です。
この向かいが「萬松寺」になります。

私の子供の頃は、この万松寺商店街には映画館が5〜6軒並んでいました。東映、松竹、東宝、大映…あと忘れましたがf^_^;)
(なんだよ!(ーー;)覚えてないの?)
あ、日活もありました。あとはピ◯ク映画館もあったかも?
でも子供の見る映画館しか入らないし(*^^*) 東映ならチャンバラ映画、東宝はゴジラシリーズ、大映はガメラと大魔神シリーズとかね。
(大魔神?んんっ、懐かしい…)
いっとき大魔神リメークするって言ってなかったっけ?

万松寺04
現在の萬松寺境内です。

万松寺05
境内の「不動明王堂」です。

元亀元年(1570年)5月、織田信長が越前の朝倉を攻略した帰路、琵琶湖北方の千草越えで「杉谷善住坊」という鉄砲の名手に狙撃される事件が起きました。日頃信心深った不動明王の加護によるものか、二発の命中弾は信長が懐中にしていた干餅(兵糧)に当たり、かすり傷のみで難を逃れましたが、この時の餅は万松寺の和尚からもらい受けたものでした。
後に、家康公の命で名古屋城築城に際し、萬松寺に滞在した加藤清正がこの話を聞き、「身代わり不動」と命名しました。

万松寺07
「身代不動明王」の提灯です。

万松寺26
境内には、狭い場所に何やらゴチャゴチャした物がいっぱい並んで
います。こちらはエスニック風のお皿や雑貨類…
いったい誰が買うのか?

万松寺25
戦国武将のフィギュアに信長所用の模造刀、木彫りの仏像…
こちらも誰が買うのか?(私なら買うかも(^_^;))

万松寺24
こちらは売り物ではありませんf^_^;)
白雪稲荷堂 (はくせついなりどう)のお稲荷さまです。

万松寺03
境内の白雪稲荷堂 (はくせついなりどう)です。

こちらには、白雪咤枳尼真天(はくせつだきにしんてん)がお祀りしてあります。 萬松寺が創建されたこの地に千年も前から住んでいた白狐が白雪様の狐族となって祀られたのが起源といわれています。

伝説によれば、萬松寺が一時衰微したとき、このお稲荷さまが窮状を見かね、どこからかお金を工面し寺の窮状を救ったとのこと。
後日、江戸の吉原遊廓の主がはるばる萬松寺を訪ねて来て「新しく雇った遊女がしばらく働いたのち姿を消したが、我は萬松寺稲荷の化身であったとのお告げがあり驚きました。しかも、その頃から店の営業が好転したのもみなお稲荷様のおかげと、こうしてお礼に参りました。」と話しました。
この話しを聞いた住職は驚き「さては、あのお金は御小女郎(おこじょろう)様の稼いだものであったか」と得心したそうです。
このことから、商売繁盛、家内安全に霊験あらたかで水商売関係者のお参りも多く別名、御小女郎稲荷とも呼ばれています。

いやぁ、凄い話しですね〜。萬松寺稲荷の化身って、この遊女の相手をしたお客は後でビックリしたでしょうね(@_@)
ひょっとしたら顔には(=^ェ^=)があって、尻尾が生えていたかも?
(オイオイ!またそんなこと言ってると罰が当たるぞ!)
子供の頃はこの前を通るのが怖かったんですよ…ここのお狐さん、恐い顔してるでしょ?
(あんた、怖がりだから(*^^*))
そうそう、それに4匹もいるし…
(4匹って\(- -; )

万松寺17
お狐さん4匹の子供には怖い(私だけか?)
白雪咤枳尼真天の提灯です。

万松寺21
稲荷堂の横、怪しげなトンネルの様な所をくぐると織田信秀の墓が
あります。

万松寺22
トンネルの天井には織田家の家紋「織田木瓜(もっこう)」の提灯が…
しかし、ここは提灯だらけです(^_^;)

万松寺23
トンネルをくぐった先、箱庭の様な所にある信長の父、織田信秀の墓です。

まさに箱庭、坪庭といった感じで、後ろは萬松寺の本堂ビルで開放感がまるでありません。3枚目の写真を見てもらうと分かりますが、ビッシリ建て込んだ本堂ビルとお堂の隙間にあるお墓です。今は商店街の中にあるお寺なので仕方ないと思いますが、信長の父親のお墓としては何か悲しいですね。

万松寺12
本堂ビルです。玄関の唐破風の軒先と瓦に葵の御紋が
打ってあります。
3階の黒い出窓の中には「からくり人形」があります。

万松寺18
扉が開いて演じられる信長の「からくり人形」です。
これは信秀の葬儀で位牌に抹香を投げつける場面。

万松寺19
回り舞台になっていて、くるりと回ると信長が好きだったという
幸若舞の「敦盛」を舞う場面になります。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり一度生を享け、
滅せぬもののあるべきか…」という有名な舞です。

万松寺20
本堂内です。賽銭箱にも葵の御紋が打ってあります。

最近、東海地方ローカルのあるTV番組でこちらのご住職が出ておられました。
レポーターが、「こちらのお寺にはどうして織田家の家紋と、徳川家の家紋があるんですか?」と質問したところ、ご住職は「ああ、こちらは元々は織田家の菩提所なんですが、江戸時代になって無理やり葵の御紋を付けさせられました(^_^;)」と苦笑いで応えておられました。が…

オイオイ!住職、無理やり葵の御紋ってなんだよ(ーー;)織田家は信長の代で衰退しちゃって、尾張徳川家から朱印寺として寺領を22,000坪も貰ったんじゃないの?今もここら辺一帯の大地主らしいけど、一体誰れのおかげ?
(そうだそうだ、もっと言ってやれ!)
ありがとう!そんなに葵の御紋が嫌なら取っちゃえば?もう江戸時代じゃないんだしさ、徳川家に遠慮しなくていいんだから。これだから◯さんは…もう止めときますが、私みたいなへそ曲がりにはツッコミ所満載のTV番組でした。
(まあ、いろんな住職がいるわな…)

万松寺御朱印
そんな萬松寺さんでいただいた身代不動明王の
御朱印です。
こちらは読めるので説明なしです(^_^;)

次回は、またまた近くの大光院を紹介します。

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