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神も仏もありました①

  • 2013/02/21(木) 03:31:52

神橋01

神橋(しんきょう)■所在地/日光市山内・上鉢石町 (大谷川)■管理者/日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ) ■長さ28m×幅7.4m×高さ10.6m

神橋02
「神橋」、撮影の腕は悪くても雪のおかげで上手く見えます(^人^)

日光国立公園の入口となる大谷川の清流に、古くから神聖な橋として架けられたのが「神橋」です。
アーチ形の木造反り橋で、その構造から錦帯橋(山口県)・猿橋(山梨県)と並んで日本三奇橋の一つに数えられています。

品川のホテルを早朝にチェックアウトして、いよいよ日光に向かいます。浅草6:20発の東武鉄道、東武スカイツリーラインの快速に乗り、東武日光には8:26の到着です。やっぱり日光は遠いですσ(^_^;)

東武日光駅から日光山内の入口、神橋までは約2km、ブラブラ歩くことにしました。前日に降った雪の影響か歩道には雪が積もっています。雪の日光東照宮、この季節しか見れないので期待大です(^_^)v

神橋05
こちらは神橋手前にあったお土産屋さん、レトロな感じで思わず撮ってしまいました。国登録有形文化財になっていました。

神橋06
石造りの橋脚に架かる朱塗りの木造反り橋です。

この橋の起源は神護3年(767年)に日光開山の祖、勝道(しょうどう)上人が弟子とともにここまで来ましたが、大谷川が急流のために対岸に渡れません。すると、「深沙大将(じんじゃだいしょう・仏教の守護神の一人)」が現われ、青と赤の2匹の大蛇を放したところ絡み合って橋となり、蛇のうろこに山菅(やますげ)が生え、渡りやすくなったということから「山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)」とも呼ばれています。

初期の構造は「乳(ち)の木」と呼ばれる橋桁を両岸の穴に埋め、補強材で支える「はね橋」形式でしたが、江戸時代になり東照宮が造営されると、寛永13年(1636年)に東照宮を始めとする日光山の表玄関にふさわしいように大造替が行われ、素木造りだったものを朱塗りの形式に改め、石造の橋脚に切石を用いて補強されました。
現在の橋は、明治35年(1902年)の洪水で流されたものを、明治37年(1904年)に旧様式に従い再建したものです。ちなみにこの橋を渡るのには300円が必要です。

「神橋」を左手に見ながら、同じ大谷川に架かる国道120号線の「日光橋」を渡れば、いよいよユネスコの世界遺産である日光山内(にっこうさんない)、二社一寺(にしゃいちじ)です。
まずは道順どおりに日光山輪王寺を参拝します。

案内図
日光山参拝案内図

日光山輪王寺(にっこうさんりんのうじ)■所在地/栃木県日光市山内2300 ■山号/日光山 ■宗派 /天台宗 ■本尊/阿弥陀如来・千手観音・馬頭観音 ■創建年/天平神護2年(766年)■開基/勝道上人

(参拝日/平成25年2月7日)

輪王寺01
こちらが「黒門」と呼ばれる輪王寺の入口です。

勝道上人が開いた日光山は、平安時代、弘仁元年(810年)朝廷から「満願寺」の称号を受け、天台宗の寺院となり、一時は寺領18万石、僧坊500を超えましたが、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際、北条氏側に加担した罪で寺領を没収され一時衰退しました。
江戸時代に入り、天海僧正が住職となってから復興が進み、元和3年(1617年)には山内に天海僧正により家康公を祀る東照宮も創建され、明暦元年(1655年)には寺号も「輪王寺」と改められました。

実は「輪王寺」といっても、どこまでが輪王寺なのか?ですが、日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺に分かれ、現在これらを総称して「二社一寺」と呼ばれています。東照宮は家康公を「東照大権現」という「神」として祀る神社で、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたものです。
近世以前には、山内の仏堂、神社、霊廟等をすべて含めて「日光山」あるいは「日光三所権現」と称し、「神仏習合」の信仰が行われていました。つまり、『神も仏も一緒』ということです。

古来よりわが国では、万物に皆神が宿るという土着の信仰がありました。仏教が伝来すると、これに仏教の信仰を折衷して、一つの信仰体系としたのが簡単にいうと「神仏習合」です。
しかし、明治初年に政府が「神仏分離令」を布告し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院を区別させました。これにより全国各地で「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動」がおこり、各地の寺院や仏像、仏具、美術品の徹底的な破壊が行なわれます。

奈良の大寺院、興福寺も明治5年に廃寺になり、現在は国宝に指定されている五重塔も、明治政府は破壊しようとしましたが、その費用がなかったため売却することとなり、当時25円(諸説あり)で売りに出されました。
買い主は塔の金具が目的だったため、火をつけて焼け落ちるのを待ち金具を拾おうと計画していましたが、信仰の厚い付近の町家から猛烈な反対に会い、また類焼の危険があるという抗議が出たために計画は中止されました。
また、今の奈良公園は廃仏毀釈以前はすべて興福寺の境内でしたが、当時の奈良県知事が「往来の妨げになる」との理由で土塀を撤去させたため、興福寺には今も門もなければ塀もありません。

奈良県天理市にあった「内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)」は、鳥羽天皇の勅願により建立され、東大寺・興福寺・法隆寺に次ぐ大寺でその規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれましたが、廃仏毀釈の嵐の中で寺領を没収されました。
壮麗を極めた堂塔は破壊され、近隣住民の建築材や薪となり、仏像・仏具・経典・文書はほとんどは焼かれたといわれています。現在では当時の敷地の大半は農地となり、石碑が残っているだけです。

内山永久寺
江戸時代に出版された「大和名所図会」に描かれた「内山永久寺」
浄土式回遊庭園を中心に、本堂、八角多宝塔、三重塔など50以上の堂塔が並んでいました。

正岡子規の俳句に「秋風や 囲いもなしに 興福寺」という興福寺を詠んだ句がありますが、この経緯を知らなければこの句を理解することは出来ません。
この頃撮影された興福寺の写真を見ると、倉庫の様な所にバラバラにされた仏像が写っているものがあります。
その一方、他の寺院では信徒が破壊を恐れ土の中へ埋めた仏像や、海外へ流出したために難を逃れた仏像や美術品も多数ありました。

廃仏毀釈01
これですね。興福寺のバラバラにされた仏像です。

廃仏毀釈02
写真の真ん中には有名な「阿修羅像」が写っています。

廃仏毀釈03
現在は国宝の天平時代の傑作「阿修羅像」も廃仏毀釈で破壊され、腕がもげています。今われわれが見ている「阿修羅像」は、その後に修復されたものです。

個人的に言わせてもらえば、これはとんでもない悪法で、明治新政府が「神道」を国の柱にして、明治天皇を神として崇めさせようと画策した法律ですが、古来の天皇は聖武天皇の例にあるように、仏教に深く帰依し数多くの寺院を建立した天皇もいました。結果、それを破壊するのは、天皇に対して不敬じゃないの?明治政府は何考えてるの!これなら、バーミヤンの石窟を爆破したタリバン政権と一緒じゃないか!!

(ずいぶん怒ってるな?)
当たり前でしょ!去年も名古屋のボストン美術館でアメリカから一時里帰りした、襖絵や仏像が公開されたよね?
(あった、あった!)
あれ、何て言って公開したか知ってる?
(確か、いま日本にあれば国宝級とか…)
そうそう!私に言わせたらアホか?国宝級を海外に流出させたのは誰だよ!今ごろ嘆いてももう遅いわ( ̄Д ̄)ノ 今さら返してくれって頼んでも、二度と日本には返してくれんわ!海外に流出した事を嘆くより、流出させた原因をもっと知るべきでしょ(♯`∧´)

よく「京都や奈良は空襲に合わなかったから、古いお寺や仏像がいっぱい残っていて素敵♪」なんてお気楽な事を言いますが、140年前に明治政府が起こした狂気で、戦争でもないのに多数の国宝級の寺院や仏像が破壊され、貴重な美術品が海外に流出した事も忘れないでほしいと思います。

という事で、日光山内の社寺が「二社一寺」に分離したのは、この明治初年の悪法「神仏分離令」からです。現在も輪王寺に属する建物は1箇所にまとまっておらず、日光山内の各所に点在しています。

輪王寺02
輪王寺でお目当ての「三佛堂(大本堂)」んん?なんか変(ー ー;)

この「三佛堂(大本堂)」も江戸時代までは「東照宮」と「二荒山神社」の間にありました。
現在は、2020年までの修復工事中でこんな事になっていました。最近至る所で修復しています。去年訪れた「姫路城」、京都の「知恩院」「清水寺」…
観光客にとってこれが一番ガッカリです(/ _ ; ) いくら実物大とはいえ、こんな絵に描いた餅の様なもの見せられてもなぁ…

こちらで先ず「二社一寺共通拝観券」を購入。本堂内に入ると修復中の現場が見られるということで、別に400円を納めて7階まで階段を登ります。エレベーター付けてよぉ!姫路城はエレベーター付いてたけど(>人<;)
姫路城の修復現場は、間近で天守閣の屋根を見学できて感激したのでこちらも期待大でした。ヒーヒー言いながらやっと7階に到着…ところがぁ!

輪王寺03
これだよ、これ!なぁ〜んもなくて、スッカラカン!

まったく足場だけ。建物は何もありません!土台が見えるだけで、柱もすべて撤去状態でした。それならそれで今はこんな状態です、くらい写真を貼っといて下さい(ー ー;) わざわざ登らなかったのに…
まあ、7階までは運動、400円は志納金と思ってあきらめました。

輪王寺05
三佛堂の裏手にある重要文化財の「護法天堂」です。

輪王寺04
こちらは、毘沙門天・大黒天・弁財天が祀られている「護摩堂」です。
1998年に建てられた新しい建物です。

輪王寺御朱印02
護摩堂でいただいた御朱印です。

あまりに達筆すぎてまったく読めませんでしたので、「あの…何と読むんですか?」思わず聞いてしまいました。
右から、奉拝 日光山 中央が「五大尊」左が、平成廿五年二月七 日 でした。

rinnoujisyuin
こちらは、黒門横の授与所でいただいた御朱印です。

やっぱり達筆ですが読めました。右から、奉拝 日光山輪王寺 日付 です。

次回は、日光東照宮です。

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