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神も仏もありました②

  • 2013/02/24(日) 00:56:37

日光東照宮① (にっこうとうしょうぐう)■所在地/栃木県日光市山内2301 ■主祭神/徳川家康公(相殿)豊臣秀吉・源頼朝 ■社格等/別格幣社 ■創建/元和3年(1617年)

(参拝日/平成25年2月7日)

日光東照宮001
輪王寺のすぐ北にあるのが「日光東照宮」です。
立派な社号標ですね。金の葵の御紋が燦然と輝いて
います!

ついに来ました日光東照宮、うん十年ぶりの参拝です。それも雪の東照宮は初めてです。巫女さん、職員さんが一生懸命に雪かきをされていました。

長い戦国時代を終わらせ、江戸に幕府を開いて天下泰平の世をもたらした家康公は、元和2年4月17日(1616年6月1日)、駿府(現在の静岡)で死去、享年75歳でした。
死の直前、「御体は久能へ納、御葬礼を増上寺にて申付、御位牌を三州之大樹寺に立、一周忌も過候て以後日光山に小き堂をたて、勧請し候へ、八州之鎮守ニ可被為成との御意候」と遺言されました。

「八州の鎮守」とは、「日本全土の平和の守り神」の事です。
遺言どおり、朝廷から贈られた神号「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」として家康公をここ日光に神として祀ったのが「東照宮」です。日光は江戸のほぼ真北にあり、北辰(北極星)を背に家康公は徳川幕府の安泰と、日本の恒久平和を守ろうとしました。

もともとは、家康公の遺言どおり質素に祀っていた東照宮でしたが、現在に見るような荘厳な社殿に造り替えたのは3代将軍家光でした。家光は祖父である家康公を敬愛していたため、東照宮の造替に当時の建築技術や幕府の財力を注ぎ込みました。寛永11年(1634年)から造替され、寛永13年(1636年)に完成したといわれています。
総奉行(日光造営奉行)は秋元泰朝、作事奉行は築城の名人と言われた藤堂高虎です。

総奉行・秋元泰朝が幕府に提出した収支報告書『日光山東照大権現様御造営御目録』(通称『御造営帳』)によると、総工費は金56万8000両、銀100貫匁(かんもんめ)米1000石で、今の400億円に相当するそうです。
35棟を建て替え、新築した大工事に使った材木は14万本。工期はわずか1年5か月で、延ベ454万人が造替に携わりました。この造替工事を「寛永の大造替(かんえいのだいぞうたい)」と呼んでいます。
家康公が望んだ「小さな堂」は、やがて家康公を敬愛する3代将軍家光によって、いま見るような絢爛豪華な「平和のシンボル」に生まれ変わりました。

聞けば聴くほど、見れば観るほど凄いです。江戸時代の宮大工や、職人、工人の名人技は世界に誇れる物でまさに「世界遺産」に相応しい建造物ですね。
昔はここ東照宮が随分けなされた事がありました。ほぼ同時期に造られた京都の「桂離宮」との対比です。
ドイツの建築家ブルーノ・タウト(1880〜1938)は、この2大建築を評してこう書いています。

『(前略)玄関の間、これにつづく古書院控えの間、広縁、 そこから張出された月見台の竹縁、 御庭。泣きたくなるほど美しい印象だ・・・(桂離宮を評して)』

『華麗だが退屈、 眼はもう考えることができないからだ。鳴龍のある堂、手をたたくと天井に描かれた龍がクルルルと鳴く、 珍奇な骨董品の感じ (中略)配置はシンメトリー、 これを破っているところもあるが、 しかしそれはなんの意味ももっていない。建築の堕落だ・・・(日光東照宮を評して)』

美観、美意識の違いは人それぞれですので何とも言えませんが、ブルーノ・タウトが酷評した東照宮に対してはこんな面白い評価もされています。

『わたしたち日本人って、ホントはこってり過剰なものが好きなんじゃないの?(中略)圧倒的な物量で、極彩色で、キンキラキンで、デコラティブで、一種グロテスクだがジャパニーズ・バロックとでも呼ぶべきモノ・・・死者のためのテーマパーク過剰の殿堂、日光東照宮 (芸術新潮・ワビサビなんてぶっ飛ばせ!バロック王国ニッポン)

日本人の感性は面白くて、京都・奈良の古寺のわびさびも好きだし、東照宮のようなキンキラキン、デコデコ(デコ電もそうですが(*^^*) )も好き。神も仏も一緒で、葬式は仏式で正月は神社へ初詣。クリスマスにジングベル♪とかf^_^;)「神仏分離令」なんか、もともと何でもありの日本人の感性には合わないと思いませんか?
古寺のわび・さび(これも昔はキンキラキンのピカピカです)とは、対極にある武家文化の美、この煌びやかさがここ東照宮の魅力です。

nikkou map
日光東照宮案内図

日光東照宮002
石鳥居をくぐってすぐ左にあるのがこの「五重塔」
です。

若狭小浜藩主・酒井忠勝が献納したもので、直径60cmの心柱が4層目から吊り下げられた耐震構造(底部は礎石から浮いている)になっています。
バックが雪のため墨絵のようで、極彩色の塔が映えます。これぞ、わびさびとキンキラキンの融合ですね。
(いい時に撮影したな、また長〜い記事によく合わせたじゃないの?)
そう?たまたま雪だったから。「色の白いは七難隠す」ってね(^_^)v
(なんのこっちゃ!)

日光東照宮004
この色彩感覚はどこからくるんでしょうか?

日光東照宮003
前回紹介の増上寺の五重塔も、きっとこんな感じ
だったんでしょうね。

日光東照宮049
東照宮最初の門、金剛力士像が守る「表門(仁王門)」です。

日光東照宮050
向かって右にあるのが、口を開いた「阿形(あぎょう)像」です。

日光東照宮051
左が、口を結んだ「吽形(うんぎょう)像」です。

仁王像・金剛力士(こんごうりきし)像は、阿形・吽形の一対で寺院の入口の門の左右に安置し、寺院内に仏敵が入り込むことを防ぐ「護法善神(仏教の守護神)」の一つです。が…

これって少し不思議だと思いませんか?ここは東照宮で家康公を神として祀る神社ですよね。本来お寺にあるべき仁王像があるのはおかしいわけですが、現在ここを通っても何の違和感も感じません。「おおー!立派な仁王さん」くらいの感想がほとんどだと思います。
ちなみに、この仁王像の裏側には神社の魔除けといわれる阿形・吽形一対の「狛犬(こまいぬ)」が祀ってあります。表が仏様の守護神「仁王像」、裏に神様の魔除けの「狛犬」で、まさに「神仏習合」そのものです。日本人の宗教感はやっぱり神も仏も一緒ということでしょうかね。

ところがこの仁王像、明治4年(1871年)に実施された例の「神仏分離令」によって、家光廟の大猷院(たいゆういん・こちらはお寺)の仁王門に移されてしまいました。東照宮の仁王門(その後、表門に改称)に仁王像がないのはおかしいということで明治30年11月に戻ってくるまでの間、現在、表門の裏側にある左右の狛犬が代わりに飾られていました。

日光東照宮053
表門、境内側の右にある「阿形(あぎょう)の狛犬」

日光東照宮054
同じく左の「吽形(うんぎょう)の狛犬」

日光東照宮006
表門をくぐった所にある「三神庫(さんじんこ)」です。正面が「中神庫(なかじんこ)」。

日光東照宮005
右にあるのが「下神庫(しもじんこ)」です。

日光東照宮007
左が「上神庫(かみじんこ)」で、いずれも外部は「校倉(あぜくら)造り」を模しています。

日光東照宮008
こちらの上神庫は妻面を飾る「象」の彫刻で有名です。

日光東照宮010
狩野探幽が下絵を描いた「想像の象」の彫刻。

日光東照宮043
上神庫の向かいにある神馬が仕える「神厩舎(しんきゅうしゃ)」

日光東照宮042
東照宮では唯一の「素木造り」で、「三猿」で有名です。

日光東照宮011
定番の「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。

日光東照宮041
「三猿」だけではなく、実際には8枚の絵で人の一生を描いているそうです。

日光東照宮040
厩舎に猿の彫刻があるのは、猿が馬の健康と安全を守るという言い伝えによるものです。

nikkoutousyougu
「上神庫」の奥に見えるのは「鐘楼」です。

日光東照宮012
「御水舎(おみずや)」と右の建物が「経蔵」。

日光東照宮013
屋根の下には飛龍や波など、水に関係した彫刻があります。

日光東照宮014
「御水舎」の屋根は12本の花崗岩の柱で支えています。

日光東照宮072
経蔵、輪蔵とも呼ばれ、内部には八角形の回転式の書架があり、一切経1456部、6325巻が納められていました。

陽明門001
この石段を登ると左が「鼓楼」右が「鐘楼」、その先がいよいよ「陽明門」です。

陽明門002
目の前に「陽明門」が見えてきました。

陽明門003
日がな一日見ていても飽きない「日暮門」と言われる「陽明門」。
キンキラキンですが、柱が白いためか妙に雪景色に溶け込んでいて、
いい感じです(*^^*)

やっと「陽明門」までたどり着きましたが、続きは次回で(*^^)v

(えーっ!ここで終わり?無駄話が多すぎヽ(`Д´)ノ )
まあ、まあヾ(^。^*)次回は話は短めにしますから…
(あんまりあてに出来んからなぁ!前回の輪王寺もこっそり記事書き足してるやろ?)
・・・

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