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神も仏もありました③

  • 2013/03/03(日) 13:55:28

日光東照宮②(にっこうとうしょうぐう)

(参拝日/平成25年2月7日)

久しぶりの更新です。日光東照宮、前回の続きです。

まずは陽明門の手前、左右にある「鼓楼」と「鐘楼」を紹介します。

日光東照宮0780
左にある太鼓を収めている「鼓楼」です。

日光東照宮071
「鼓楼」の華麗な組物、当然ながら細部まで手を抜いていません。
ここにはあるミステリーが?

日光東照宮069
鼓楼の後ろの建物が「鳴龍」で有名な「本地堂」
です。

この場所には外国からの奉納品の灯籠が集められています。

日光東照宮0790
「阿蘭陀灯籠(おらんだとうろう)」と呼ばれる
オランダから奉納の八角形の回り灯籠です。

98111003252.jpg
灯篭の覆屋、屋根の四隅にいるのは霊獣「獏」です。

日光東照宮082
奥に見える灯籠もオランダから奉納されました。

日光東照宮058
オランダから寛永13年(1636年)に奉納された、シャンデリア型の「釣灯籠」です。

「阿蘭陀灯籠(おらんだとうろう)」と呼ばれる回り灯籠は、寛永20年(1643年)にオランダの東インド会社から奉納されました。

東インド会社、歴史の授業で習いましたね。
鎖国前の日本には、スペイン、ポルトガルなどの貿易船が頻繁に来ていました。目的は当時世界の1/3を有した日本の「銀」です。
慶長5年(1600年)オランダの商船リーフデ号が九州豊後に漂着したのをきっかけに、オランダ貿易が加わり日本貿易の利権をめぐる競争は激化しました。
リーフデ号に乗っていたイギリス人の航海士ウイリアム・アダムス(三浦按針)が家康公の外交顧問になった事もあり、オランダ貿易は俄然有利になります。
その後オランダは、スペイン・ポルトガルと、カトリックの繋がりに警戒感を強めていた江戸幕府に取り入り、ポルトガルの追い落としに成功、鎖国下の日本で欧州諸国として唯一、長崎出島での交易を認められました。

日光東照宮057
そんなオランダから奉納された灯籠ですが…

なんかおかしいですよね?葵の御紋が逆さまになっています。単純に上下を間違えて作っただけだろうといわれ、「逆紋の周り灯籠」とも呼ばれていますが、3代将軍家光が祖父家康公への崇敬と、幕府の威信を掛けて造った東照宮に、たとえ外国から奉納された物とはいえ、徳川家のシンボル、葵の御紋が逆さまの灯籠をそのまま置いちゃったのは謎です。

日光東照宮0800
「南蛮鉄灯籠」と釣鐘を収めている「鐘楼」です。

日光東照宮068
鐘撞き棒にも葵の御紋が(^人^)

日光東照宮036
いよいよ「陽明門」を拝見します。

日光東照宮015
陽明門の東西に伸びる「回廊」で、こちらは「東回廊」です。
端に見える屋根が「眠り猫」の彫刻がある「東回廊潜門」の屋根です。

透塀01
同じく「西回廊」です。

この回廊は陽明門から東西に延び、総延長は220メートル。途中から折れ曲がり、東西の端は御本社後ろの石垣の手前で切れて、コの字形に御本社を囲んでいます。
欄間に雲、胴羽目に花鳥と動物、腰羽目に水鳥など、天・地・水にちなんだものが1枚板の透かし彫りで彫られています。

kairou02
こちらは胴羽目に「孔雀」、腰羽目には「菖蒲」が彫られています。

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「袖塀(そでべい・陽明門と回廊の間の低い塀)」の
唐獅子の彫刻。

日光東照宮063
この唐獅子も、もうすぐ始まる陽明門の修復後には、きっと真っ白に生まれ変わりますね(^_^)v

日光東照宮018
陽明門の後水尾天皇宸筆「東照大権現」の扁額です。

この陽明門には508もの彫刻があるといわれ、上の写真、扁額の下にも2列の龍の様な動物が彫られています。上は「龍」ですが、下は「息」と言い、イキなのかソクなのか読み方も分からない霊獣だそうです。

日光東照宮066
2列目が「息」、よく見ると口の開け方も様々です。
「息」は「龍」と違ってヒゲが無く牙があるそうです(^_^;)

(歯並びもみんな違わないか?)
そうそう!矯正した方がよくない?というのもいますなぁf^_^;) それに、〝息〟も凄そう(((o(*゚▽゚*)o)))
(・・・)

日光東照宮065
白塗りの彫刻、真ん中は「目貫の龍」。両側の顔は龍で足に蹄のある霊獣は「龍馬(りょうば)」といいます。下には「唐子遊び」と呼ばれる子供達の彫刻があります。

日光東照宮070
鯉に乗った琴高仙人(きんこうせんにん)の彫刻です。

琴高仙人(きんこうせんにん)は、中国周の時代の人で、琴の名手。長寿の仙術を行って800年も生きたと言われています。ある時、龍の子を捕らえて見せる、と弟子たちに約束して川の中に入り、約束の日に大きな鯉に乗って現れ、人々を感嘆させました。波間から姿を表した瞬間を彫刻しています。

日光東照宮076
定番の唐獅子の彫刻も…「陽明門」には唐獅子が、「本殿」には夢を食べるといわれる「獏(ばく)」が彫られています。

日光東照宮019
「陽明門」の「随神」です。

日光東照宮017
向かって左、髪とお髭が黒い青年の左大神(さだいしん)。

日光東照宮016
右、髪とお髭が白い老年の矢大神(やだいしん)です。

「随神(ずいしん・ずいじん)」は、神を守る者として神社の門などに安置されます。門守神(かどもりのかみ)、看督長(かどのおさ)と言い、矢大神(やだいしん)・左大神(さだいしん)と呼ばれることもあります。 左右二神共、弓と矢を携え剣を帯びていますが、これはその昔、武装して貴人の護衛にあたった近衛府(このえふ)の舎人(とねり)の姿を現わしています。

ところで、以前「日吉東照宮」の社殿には、明智光秀の「桔梗紋」が隠されている…という記事を紹介しました。
天海僧正=明智光秀の証拠では?というものですが、ここ日光東照宮にも「桔梗紋」が隠されているという話がTVでもミステリーっぽく紹介されます。それが上の随神の袴に描いてある紋です。

zuishin
これですが、んんん…?これはどう見ても「桔梗紋」ではありません
よね。

aketikikyouodamokoukarahanamon02
左が「桔梗紋」、中が「織田木瓜」、右は「唐花紋」です。

karahanamon01
こちらは「鐘楼」の庇の組物に描いてある「桔梗紋」と言われている紋。

三つの紋のサンプルを見ていただくと分かりますが、随神の袴の紋は間違いなく「織田木瓜」に代表される「木瓜紋」で、「鐘楼」の組物に描かれているのは寺社の装飾に多用される「唐花紋」です。
じゃあ、真ん中だけ取ったら「桔梗紋」になるんじゃないの?と言っても、無理やり真ん中だけを見ても「唐花紋」です。

「桔梗紋」と「唐花紋」の違いは、桔梗紋は先が尖っているのに対して、唐花紋は先が丸くて三つに分かれています。よく似ているので間違えやすい紋ですが、袴の紋は全く違います。
ここ日光東照宮には、言われている様な「桔梗紋」のミステリーは無〜い(^_^;) という事ですね。

という事で、改めて「日吉東照宮」の隠し紋と言われている写真をよーく見てみたら、
ガーン( ̄◇ ̄;) なんと「唐花紋」でした(T . T)

日光東照宮081
こちらが「日吉東照宮」で「桔梗紋」と紹介した紋ですが…

やっぱり、どう見てもこれも明らかに「唐花紋」ですね(⌒-⌒; )

(オイオイ!大失態じゃないの?あそこでは確か「桔梗紋」って断定してたよなd( ̄  ̄) )
あ、あれは神職さんが「桔梗紋」って言ってたし…間違えやすい紋だし、つい(^_^;)
(どうすんだよぉ?)
じゃあ、「日吉東照宮」にもミステリーは無かった!という事でどうかなぁ?今度行ったら、神職さんによく言っとくから(^人^)
(どうせ行かないくせに…)

次は本当のミステリーかも?

日光東照宮064
「陽明門」の「魔除けの逆柱」です。

「陽明門」は12本の柱で支えられていますが、その中の1本だけが逆さに立てられています。
すべての柱には「グリ紋」という渦巻きを2つ繋げた文様が刻まれていますが、門を入った左側3番目の柱だけ文様が逆向きになっています。写真、真ん中の柱です。
これは『形あるものは、完成した瞬間から崩壊が始まる』と言われることから、1ヵ所だけ完璧でない部分をわざと残して置いたといわれています。

日光東照宮074
随神の背面には「狛犬」が安置してあります。
左は「吽(うん)形」で、表門の狛犬と比べるとこちらは角がありません。

日光東照宮075
右は「阿(あ)形」の狛犬(獅子)です。

陽明門をくぐると、いよいよ唐門と御本社ですが、御本社は平成25年3月31日まで「平成の大修理」の真っ最中です。

日光東照宮020
陽明門を入った正面の「唐門」、この先の御本社が現在工事中でした。
「唐門」は、江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣、大名だけがくぐることを許された門です。

日光東照宮031
「唐門」と「透塀」、陽明門と比べると小さいですが、実は陽明門より優れているとも言われています。

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胡粉(ごふん・貝殻を砕いた顔料)を塗った両側の
白い柱の昇龍、降龍は紫檀・黒檀で象嵌されたもの
です。

karamon03
同じく扉、寄木造りの技法で象嵌されています。
ここまでするか?という凝りようです。

日光東照宮089
「唐門」の案内板です。

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唐門左右の「透塀(すきべい)」。欄間には牡丹と錦鶏(きんけい)、腰羽目は波に蒲の穂と白鷺が彫られています。

sukashibei02
こちらの腰羽目は沢瀉(おもだか)と鴨の彫刻です。
すべての長押(なげし)には亀甲花菱紋が描かれています。

唐門から左右に延びて本社を囲む透塀は、全長160メートルで瑞垣(みずがき)とも呼ばれ、石垣の上に石造りの土台を据え、柱は角柱で黒漆塗り。長押には「亀甲花菱紋」を金箔地の上に描いています。
胴羽目は透し彫りの「花狭間格子」で、こちらも金箔地の花弁の表面を緑青、内側を朱塗りとしています。
「唐門」「透塀」は、修復工事が終わったばかりで、素晴らしい輝きを取り戻していました。

日光東照宮090
透塀の前面は漆が塗りたてのため、参拝客が直接手で触れられないようにガラスの衝立がしてありました。

尚、第一期の第二次修復工事は、平成25年4月1日から平成31年3月31日、6ヵ年度継続で、陽明門、下神庫などの3棟が予定されています。陽明門も足場が組まれ、テントで覆われて6年間は観れなくなってしまうようです。
6年間は長い!陽明門が観れない東照宮なんて…その間に死んじゃうかもしれないし(>人<;)
本当にいい時に参拝出来て、今回はラッキーでした(^_^)v

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青空ですが、この日は小雪が舞ったり、陽が差したりの変わりやすいお天気でした。

唐破風の下には、中国の故事に由来する、竹林の七賢人「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」などの精密な彫刻があります。人物彫刻があるのは陽明門と、ここ「唐門」だけだそうです。

日光東照宮096
唐門、軒唐破風の屋根の南北にある青銅製の「恙(つつが)」です。

四方軒唐破風(しほう のき からはふ)の屋根の正面と背面には、夜の守り神として百獣の王・獅子、虎よりも強いという「恙(つつが)」という霊獣を乗せています。
江戸幕府の鋳物師、椎名兵庫の作で、これ一頭に金200両が支払われたそうです。あまりに見事な出来栄えのため、どこかへ行ってしまわないようにと、足を金環で留めてあります(^_^;)

日光東照宮095
同じく東西の屋根の「龍」、昼の守り神です。
こちらの龍は鰭(ヒレ・翼)を切って飛んで行かないようにしてあるため、
「鰭(ヒレ)切りの龍」と呼ばれています。

日光東照宮091
陽明門から続いている回廊内部です。こちらは「東回廊」、左に見えている建物は「祈祷殿」。東回廊には超有名な彫刻が…

日光東照宮024
定番過ぎてあまり紹介したくないですが、「三猿」と並んで定番中の定番、国宝の「眠り猫」(; ̄ェ ̄)

家康公の墓所、奥社の入口にあたる東回廊潜門(ひがしかいろうくぐりもん)の上の蟇股(かえるまた)に彫られている、飛騨の名工・左甚五郎の作といわれるものです。
牡丹の花咲く下に、日の光を浴びて猫がうたた寝しているところです。「猫がのんびりと眠っていられるほど平和な世の中」への願いが込められています。

日光東照宮062
「眠り猫」の裏側にはスズメの彫刻が…

猫が眠っているのでスズメも安心していられる、徳川の世の天下泰平を表している象徴といわれています。

日光東照宮026
眠り猫の下をくぐった「坂下門」。家康公の墓所、奥社への入口です。

「坂下門」は、元和4年(1608年)に建てられた一間一戸、銅瓦葺きの八脚平唐門で、この奥が家康公が眠る奥社に続いていため、普段は閉められ、将軍参詣の時にしか開く事がなかった事から「開かずの門」とも呼ばれていました。
全体的に白と金を基調とし、欄間には鶴の透かし彫り、腰羽目には牡丹と唐草が彫り込まれています。

日光東照宮027
奥社への石段、踏み石はすべて一枚石で、石柵も一枚石をくり抜いたものだそうです。

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200段余りの石段を登った場所にある奥社拝殿前の「銅神庫(御宝蔵)」です。

承応3年(1654年)創建で、江戸時代には朝廷から家康公に贈られた位記(位階を授ける者に、その旨を書き記して与える文書)や甲冑、刀剣や南蛮銅具足など、東照宮の中でも特に貴重な神宝類を収めていました。
建物全体を青銅で包み、黒漆を塗ってあることから「銅神庫(どうじんこ)」とも呼ばれています。

日光東照宮093
やっと「奥社拝殿」が見えてきました。東照宮の他の建物とは違って黒一色でまとめています。

日光東照宮086
入母屋造りで正・背面に唐破風(からはふ)を付けています。建物全体を真鍮や銅板で覆い、一部を金箔押し、他は全て黒漆塗りになっています。

日光東照宮087
唐破風の装飾、よく見ると何気に豪華です。

日光東照宮092
拝殿内部は黒一色の地味な外観に対して、内部は金箔の柱、極彩色の鳳凰など豪華な仕様になっています。

日光東照宮085
「奥社拝殿」全景ですが、縁の下の材木や脚立は目隠しして欲しいかも( ̄^ ̄)ゞ

日光東照宮028
拝殿裏、家康公墓所の前に建つ青銅製の「鋳抜門(いぬきもん)」です。

日光東照宮029
扉には牡丹唐草と輪宝、柱には葵紋の文様が施されています。

この門は創建時は木造で、寛永18年(1641年)5代将軍綱吉の時に石造り、慶安3年(1650年)に今の青銅製となりました。扉を除き、柱や梁などを一つの鋳型でつくったことから「鋳抜門」と呼ばれています。
以前紹介した「増上寺」にも同じ門がありましたが、空襲で焼け残った物を移築したため、完全な姿ではありません。こちらは慶安3年創建時の姿をそのまま残しています。幕府お抱えの鋳物師、椎名伊豫(しいな いよ)の作です。

日光東照宮045
「奥社宝塔」の案内板です。

日光東照宮044
中には入れませんが、石柵越しに参拝できます。

日光東照宮030
「奥社宝塔」この中に家康公の柩が納められて
います。

8角形5段の石の基壇の上にさらに4段の青銅の基壇があり、その上に青銅の宝塔が乗っています。創建時は、木造の多宝塔でしたが、天和3年(1683年)の地震で破損したため、唐銅製(金、銀、銅の合金)に造り替えられました。鋳抜門と同じく椎名伊豫(しいな いよ)の作です。

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陽明門まで降りてきました。参拝順路の最後になる、「鳴龍」で有名な「本地堂(薬師堂)」です。

日光東照宮033
本尊が薬師瑠璃光如来(薬師如来)であることから「薬師堂」、家康公が薬師如来の生まれ変わりといわれ、本来の仏(本地)を祀ったことから「本地堂」とも呼ばれています。

日光東照宮094
内陣天井に描かれている「鳴龍」、撮影禁止のため参考写真です。

龍の頭の下で手を打つと、天井と床が共鳴して鈴のような鳴き声に聞こえるため「鳴龍」と呼ばれています。
もとの絵は江戸城、二条城、名古屋城などの障壁画を手掛けた狩野探幽の弟、狩野永真安信(かのうえいしんやすのぶ)の筆でしたが、昭和36年の火災により堂とともに焼失したため、昭和43年、堅山南風(かたやまなんぷう)画伯により復元されました。

昔は参拝客が手を打っていた記憶がありましたが、現在は撮影禁止で手も鳴らせないようです。 解説者のお坊さんが拍子木をカンカンと叩くと天井の龍が〝ビョビョビョーン〟と鳴きます。
「ハイ、今の龍の鳴き声と同じ音がする鈴です」と、知らないうちにお坊さんの手に鈴が…
「出口の授与所で売っていますので、帰りに買って下さい」

(オイオイ!押し売りかよぉ( ̄◇ ̄;))
そうそう、これだから坊◯はなぁ( ̄^ ̄)ゞ
(ん?ちょっと待った!ここは確か神社…)
気付きました?ここは家康公を祀る東照宮、間違いなく神社です。しかし、「本地堂」は東照宮の境内にあるのに「お寺」なんです。
日光にはまだ『神も仏もありました』神仏習合が残っています。と言いたいところですが…
現在では東照宮ではなく「輪王寺」が管轄しています。

明治4年(1871年)の神仏分離令により、日光は神社の東照宮・二荒山神社と、寺院の輪王寺の「二社一寺」の形式に分立してしまいました。
現在でも、ここ「本地堂」と「経蔵」の2棟が、東照宮と輪王寺との間で帰属について係争中のため、文化財保護法の規定により「財団法人日光社寺文化財保存会」が「管理団体」として指定され管理しています。

つまり明治以降この2棟は、東照宮の境内にあるから当然、東照宮の物だ!いやいや、2つともお寺でしょ?だったら輪王寺の物でしょ!と、明治政府が定めた神仏分離令の弊害により現在も争っている訳ですね。
『日光の社寺』として世界遺産に登録されながら、観光客の見えないところでの争いが100年以上も続いているのは、悲しく腹立たしい限りです。家康公も嘆いているのは間違いないでしょうね(>人<;)

日光東照宮034
念願の日光東照宮でいただいた御朱印です。

これで、家康公の遺言にあった寺社4つの御朱印が揃いました。『遺体は久能山、葬儀は増上寺、位牌は大樹寺、一周忌を過ぎたら日光に』の、4寺社の御朱印です。
「三大東照宮」といわれるうち、誰もが納得の日光・久能山の2つは制覇。あと一つはどこになるか?今まで参拝した中で決めるのは微妙だし、まだ参拝していない東照宮もあるので、自分的にはまだ決められませんσ(^_^;)

次は、東照宮をあとに「上新道(うわしんみち)」を通って「日光二荒山神社」です。

日光東照宮035
雪の「上新道(うわしんみち)」です。

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