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神も仏もありました⑥

  • 2013/03/11(月) 08:36:54

輪王寺大猷院②(りんのうじたいゆういん)

(参拝日/平成25年2月7日)

前回の続きです。

大猷院021
夜叉門をくぐった先にある門が、家光廟拝殿前の「唐門」です。

「唐門」は、承応2年(1653年)に建てられたもので一間一戸、高さ1間4尺(3.03m)間口6尺(1.82m)と大猷院内では最小の門ですが、門全体を金を基調に極彩色で彩っています。
屋根は唐破風で前面は丸柱、背後は角柱で破風内部には雌雄の鶴、欄間には白龍、木鼻には唐獅子が彫られています。 

大猷院051
唐破風、雌雄の鶴と欄間の白龍の彫刻です。

大猷院067
拝殿唐門と透塀。

大猷院079
透塀は鳩の装飾で埋め尽くされているため、百間百態の群鳩「鳩づくしの回廊」とも呼ばれています。

大猷院032
透塀の緑青に彩色された精巧な透かし彫りの格子。

大猷院034
透塀の前には大名家から寄進の灯篭が…

大猷院035
葵の御紋だらけの灯篭(*^_^*)

大猷院080
唐門内から見た「拝殿」ですが、拝殿内は撮影禁止でした。

大猷院024
唐門背後の控え柱(角柱)の唐獅子の彫刻です。

大猷院085
拝殿の内部、撮影禁止のためここから3枚は参考写真です。

内部は金箔置きで広さは64畳敷。唐獅子が描かれている大羽目前の蓮華の花瓶1対は、徳川御三家の水戸家、柳桜の花瓶1対は紀州家、鶴亀の燭台1対は尾張家からの献上品です。
拝殿の格天井(ごうてんじょう)には狩野一門の筆による140の龍が紺地に金で描かれています。正面、左右大羽目の唐獅子・狛犬は、狩野探幽(かのうたんゆう)と弟の狩野安信(かのうやすのぶ)が描いたものです。

大猷院087
こちらが江戸城、二条城、名古屋城などの障壁画も描いている狩野探幽筆の大羽目の唐獅子図です。

大猷院086
拝殿の中央から続く畳敷きの中殿が「相の間」です。こちらの内部も総金箔置きになっています。
正面奥の扉の先が本殿です。

「相の間」は、将軍が着座して法要を行なった場所で、格天井には鳳凰、本殿との間の左右には昇龍、降龍が描かれています。
東照宮は神仏習合様式の「権現造り」で、拝殿と本殿を結ぶ中殿「石の間」が数段低くなっているのに対し、大猷院廟は「仏殿造り」を中心とした純仏教様式のため、拝殿と相の間の床は同じ高さになっています。

大猷院023
西へ回り、外から「拝殿」「相の間」「本殿」を拝見します。
拝殿は黒を基調とした、やや地味な外観になっています。

大猷院026
「相の間」と「本殿」です。

ainoma
「相の間」は、金彩を基調に欄間には極彩色の彫刻、黒漆が全体を引き締め、朱塗りの欄干がアクセントになっています。

大猷院027
「本殿」です。相の間と同じく金彩を基調としていますが、軒裏を朱塗りとしています。

「拝殿・相の間・本殿」も承応2年(1653年)に建てられたもので、「本殿」は建坪112平方メートル余りの重層の仏殿造りで、内部の正面の厨子には木像の「家光公座像」と「御位牌」が、その前には家光の本地仏「釈迦如来」を祀っていますが、いずれも非公開です。
金箔を多様した外観から、別名「金閣殿」の呼び名があるほど豪華で、江戸期芸術の極致とされ、代表的な霊廟建築として国宝に指定されています。

大猷院028
唐戸上部の唐獅子の彫刻です。

大猷院081
床下の木組みも金彩に黒漆が塗られています。

大猷院083
金彩の唐戸の龍と唐獅子の彫刻。棧を黒漆塗りとし、葵の御紋入りの飾り金具を打っています。

大猷院037
右から本殿、相の間、拝殿と見ています。

大猷院031
本殿寺域を囲む透塀にあるもう一つの門、この門の右手、石段を登ると家光の墓所です。

大猷院030
家光の墓所、奥院への入口になる「皇嘉門(こうかもん)」です。

承応2年(1653年)建立の「皇嘉門(こうかもん)」は大猷院の最も奥に位置し、家光廟入口の門になっています。中国、明朝の楼門建築様式を取り入れ、竜宮城の門の様な構えをしているため、一名「竜宮門」とも呼ばれています。天井には門の名前に相応しく天女が描かれている様ですが、非公開のため見る事は出来ません。

これから先は家光の御霊を祀る聖域で、残念ながら一般公開はされていませんが、東照宮の奥院と同じ様に石段を上ると黒塗りの奥院拝殿があり、その後に鋳抜門、門の奥に唐銅製の宝塔が建ち、宝塔の中には釈迦如来像と霊牌が安置されているそうです。

大猷院029
一階塗籠楼門で、1層目は白漆喰塗り、2層目は極彩色豊かな彫刻になっています。

大猷院084
扉には葵の御紋と輪宝が施されています。

大猷院064
これで大猷院の紹介は終わります。皇嘉門の石段を下り、右手に透塀を見ながら夜叉門に戻っていきます。

大猷院御朱印
最後にこちらが大猷院でいただいた御朱印です。

この御朱印を書いていただいた「お坊さん」、かなりの曲者?御朱印帳をパラパラっと見て一言、「ここはお寺ですが、神社と一緒に書いていいんですか?(不満そう)」
私「これ、徳川家ゆかりの寺社専用の御朱印帳ですが…」と、表紙に葵の御紋入りの御朱印帳(久能山東照宮で購入したもの)を指差したところ…
お坊さん「それは分かりますけど、葵の御紋でも神社とお寺がありますよ。(尚も不満気)」
私「(そんな事は分かっとるわい!)いいですから一緒にお願いします」
お坊さん「よければ書きますが…」で、
上の御朱印、よく見ていただくと分かりますが、お寺にしてはかなりのやっつけ仕事( ̄◇ ̄;) 不満感が墨書きにも出てると思いませんか?

御朱印集めの方のブログを拝見すると、神社とお寺の御朱印帳を分けている方、一緒にしている方と様々です。
御朱印帳を分けている方のブログには、神社やお寺で何か嫌味を言われた事があり、別にしていると書いてありました。
私も一応、神社用、お寺用と分けていますが、「徳川家ゆかりの寺社・全国東照宮巡り」だけは1冊にまとめています。
が…今まで大猷院の坊さんの様に嫌味を言われた事は一度もな〜い!!

(オッ!出ました天邪鬼、怒ってるな?)
気分悪いでしょ?素直に書けばいいんじゃない?パラパラっと見て、今回の参拝順だと輪王寺(お寺)、東照宮(神社)、二荒山神社(神社)…次が大猷院(お寺)自分の所はお寺だから、神社の後には書きたくないんかい(♯`∧´)
(そういえば東照宮と輪王寺との間で管轄で揉めてるって書いてたな?)
そうそう!でも、東照宮では輪王寺の後でも何も言われんかったぞ!
(ここも輪王寺だろ?)
だから間に「二荒山神社」をクッション?で入れてるのに…
東照宮の次に頼んでたらたぶん御朱印拒否かも(^_^;)
(オイオイ!二荒山神社をクッションって…)
要するに、神社は心が広い、お寺は心が狭いという事でOK?
(あんた、ざっくりまとめ過ぎ!)
せっかく、いいお寺で見所もいっぱいなのに残念!これも神仏分離令の弊害ですな( ̄◇ ̄;)

ちなみに、知人も「神社とお寺が一緒の御朱印帳」で御朱印をお願いしたところ、私と同じ事を言われたそうで、そんな事を言われたのは初めてと驚いておられました。
皆さんも大猷院で御朱印をいただく時は、お寺専用の御朱印帳を出される事を強くお勧めします(^_^)b

以上、江戸時代までは確かに『神も仏もありました』、今は『神と仏は別々です』の、日光山「二社一寺」長々と見ていただきありがとうございました(^人^)

次回は、金沢東照宮(えっ!そんなのあるの?)「尾崎神社」を紹介する予定です。

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