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百万石のルーツは?①

  • 2013/03/12(火) 16:38:25

尾崎神社(おざきじんじゃ)・金沢東照宮 ■所在地/石川県金沢市丸の内5-5 ■主祭神/天照大神・東照大権現(徳川家康公)・前田利常(加賀藩3代藩主) ■創建/寛永20年(1643年)■開基/前田光高

(参拝日/平成25年2月28日)

尾崎神社01
尾崎神社の中門(平唐門)と社号標です。

初めて参拝しました、金沢城公園の北西にある尾崎神社(金沢東照宮)です。「東照宮巡り」をするまで金沢に東照宮があった事は全く知りませんでした。
「全国東照宮連合会」という組織があり、現在49社が加盟されていますが、尾崎神社は加盟されていません。ネット検索で「全国の東照宮」でヒットしたのが御朱印もいただける、ここ尾崎神社でした。

尾崎神社は「金沢東照宮」とも呼ばれ、加賀藩4代藩主・前田光高が幕府から東照大権現の勧請を許され、寛永20年(1643年)金沢城北の丸に東照三所大権現社(とうしょうさんしょだいごんげんしゃ)として創建、別当として神護寺が置かれました。江戸時代には「権現社(ごんげんしゃ)」「御宮(おみや)」と称されていました。
江戸時代、この様に全国各地に東照宮が造営されたのは、我が藩は徳川幕府に対して決して背く事はありません。その証拠に家康公を祀る東照宮を建てさせてください。という、幕府に対してのご機嫌取りみたいなものです。

明治6年(1873年)神仏分離令に従い仏像・仏具を除き、明治7年(1874年)に尾崎神社と改称、明治9年(1876年)に金沢城内が陸軍省用地となったため現在地(金沢城公園の北)へ遷座しました。
建立当初は「金沢城の江戸」、「北陸の日光」と呼ばれた十数棟にも及ぶ豪華な社殿が建ち並んでいましたが、現在地へ移転の際に現存の建物だけが移築されました。金沢城は度々火災にあっており、築城当時の建造物はほとんど残っておらず、金沢城の現存遺構としては最古の建造物です。昭和25年(1950年)には本殿・拝殿及び幣殿、附厨子・中門・透塀等が重要文化財に指定されています。

金沢・加賀藩といえば、100万石の格式を持ち、藩祖は愛知県名古屋市出身の前田利家です。利家は豊臣秀吉の亡き後、秀吉の遺児秀頼の傅役として、次の天下人を目指す家康公に睨みを効かせる事の出来た、ただひとりの人物でしたが、慶長4年閏3月3日(1599年4月27日)60歳で世を去りました。
家康公と唯一互角に渡り合える程の人望と、格を持っていた利家の早すぎる死は、豊臣氏滅亡が決定的となる一因ともいわれています。つまり、家康公にとっては「目の上のたん瘤」であった利家の死により、天下を取れたと言っても過言ではないといえます。

家康公の天下となってからの前田家は、江戸時代初期には外様大名ながら加賀・能登・越中3国で119万石を領する大大名となり、3代藩主利常は徳川秀忠の娘珠姫を正室に迎えています。以後の当主も御三家・御家門との姻戚関係を繰り返したことから、加賀藩主は徳川将軍家から特に「松平」の苗字と「葵紋」を許され、御家門に準じる家格を与えられました。金沢東照宮を創建した4代藩主光高は、家康公の曾孫(外孫)ということもあり徳川幕府への忠誠心が特に強かったといわれています。

尾崎神社07
中門の大棟にある葵の御紋です。

尾崎神社13
中門の破風には葵の御紋の飾り金具が打たれています。

尾崎神社06
中門、奥に見えるのが本殿。

尾崎神社02
かなり色落ちした「尾崎神社」の扁額。

中門は、一間一戸の朱塗りの平唐門(ひらからもん)で、本殿側に控柱(ひかえばしら)が立っており、屋根は平唐破風造銅瓦葺(ひらからはふづくりどうかわらぶき)で、棟は大棟の両端付近に降棟が付いています。

尾崎神社04
中門の柱、基壇部分にある葵紋の金具。

尾崎神社08
重要文化財の透塀ですが、東照宮としては単調なデザインです。

尾崎神社03
透塀に貼ってある尾崎神社の由緒書き。
上の方で長々と書きましたがこの由緒書きのとおりです-_-b

神域を囲む透塀は、東西52尺(約160m)南北52尺(160m)の正方形で、西面は中央に中門を開けています。
どこの神社にでもありそうな(失礼!)塀ですが、金沢城の貴重な遺構という事で重要文化財に指定されていると思いますが、中門と同じく朱塗りの剥落が激しいです。

尾崎神社11
こちらが本殿ですが、んんっ!何、この朱塗りの囲いは?

囲いの貼り紙を見ると「雪から社殿を守るため板囲いをしております」だそうです( ̄◇ ̄;)
なんかなぁ〜!こんなの見に来たんじゃないんですけど…

『本殿は、身舎(もや)が桁行3間、梁間2間でその前方に桁行3間の向拝(こうはい)が付いた三間社流造(さんけんしゃながれづくり)で、西を正面に建っている。
屋根は銅瓦葺きで、棟は大棟(おおむね)の両端付近に降棟(くだりむね)が付き、大棟の上には、置き千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)が2組乗っている。他の東照宮と同様、各部に漆塗りや極彩色が施され、飾金具で装飾されている。』
だそうですが、屋根だけ見せられてもテンション下がるわ( ̄^ ̄)ゞ

尾崎神社12
仕方ない!屋根でも撮っておくか…

尾崎神社15
アップにしたら…また塗りが剥げてました-_-b

尾崎神社10
一応、拝殿は参拝出来る様でしたので入らせていただきました。
おおお!扉だけは東照宮っぽい(^_^;)

尾崎神社09
軒下の組物は?普通でした…

尾崎神社14
扉は?朱塗りの棧唐戸で「葵の御紋」と「唐草に
輪宝」、見事な透かし格子もあります。

んんん…期待して参拝させていただきましたが、東照宮らしいのは扉だけとは(・_・;
では、これで尾崎神社は終わります(⌒-⌒; )

(えっ?御朱印は?)
あ、社務所が閉まってていただけませんでした(T_T)
(ピ〜ンポ〜ンしなかったの?)
奥様らしき人の声で、「宮司は留守をしてます」だって…
(今回は記事もあまり乗ってなかったようだし、またリベンジだな?)
もういいかも…板囲いが取れても期待薄だしね。一応、東照宮巡りはしたという事で(⌒-⌒; )
(なんだよ(ーー;))
金沢、遠いしね…

次は、御朱印なしの尾崎神社から歩いて前田利家を祀る「尾山神社(おやまじんじゃ)」を参拝します。
 

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