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百万石のルーツは?③

  • 2013/03/15(金) 11:18:31

金沢城① (かなざわじょう) ■所在地/石川県金沢市丸の内 ■城郭構造/梯郭式平山城 ■別名/尾山城、金城 ■築城年/天正8年(1580年)■築城主/佐久間盛政・前田利家

(平成25年2月28日)

金沢城019
尾山神社でも紹介した「戸室石」を使用した金沢城の石垣です。

金沢城は「加賀百万石」といわれた前田家累代の居城です。城は加賀平野のほぼ中央を流れる犀川(さいがわ)と浅野川に挟まれた狭長な小立野(こだつの)台地の先端に位置しています。
金沢城の前身は、加賀一向一揆(かがいっこういっき)の拠点となっていた尾山御坊(おやまごぼう)で、天正8年(1580年)柴田勝家の甥、佐久間盛政が攻略し、御坊の跡地をそのまま城として用い、「尾山城(おやまじょう)」と称しました。
その後、柴田勝家、佐久間盛政が「賤ヶ岳の戦い」で羽柴秀吉に滅ぼされると、尾山城には前田利家が入り文禄元年(1592年)から城の改修工事を始め、名前も「金沢城」と改めました。

修築後は、5重の天守閣や多数の櫓を建て並べ「加賀百万石」に相応しい居城でしたが、天守閣は慶長7年(1602年)落雷によって焼失。以後は再建されず、「御三階櫓(ごさんがいやぐら)」と呼ばれる櫓が置かれ、天守の代用をしていました。
以後、幕末まで前田家の居城でしたが、城内の建物は度々の火災によりほとんどが失われ、現在城内に残る建物はわずかに「石川門」と「三十間長屋」、「鶴丸倉庫」だけです。

金沢城001
平成22年(2010年)に復元され、水が張られた「いもり堀」。

尾山神社の東神門を出て道路を渡り、金沢城公園へ向かいました。左手に新しそうなお堀が見えてきました。このお堀が復元された「いもり堀」です。
金沢城の周囲には、大手堀、いもり堀、百間堀(ひゃっけんぼり)、白鳥堀(はくちょうぼり)の4つの堀がありましたが、現存するのは大手堀のみで、他の3つの堀は明治時代末から大正時代にかけて埋め立てられ、道路などになりました。このうち、いもり堀は復元作業が行われ、2010年4月に再び水が張られました。

金沢城map01

案内図、左の「いもり堀」は、金沢城の南西側を囲む外堀で、明治40年(1907年)旧陸軍により上部の削平と埋め立てが行われ、その跡地は陸軍用地を経て、戦後はテニスコートとして利用されていました。
江戸時代の堀は、幅が広いところで約40m、深さが10m以上ある水堀で、斜面は土羽(どは・盛土)で、比較的緩やかな勾配で造られており、南東端には「鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)」の石垣がありました。

金沢城003
復元された「いもり堀」と「鯉喉櫓台(りこうやぐらだい)」。

「鯉喉櫓台」は、寛文4年(1664年)の修築時の姿を残す、整然とした粗加工石積みの石垣です。高さは約8間(14.4m)ありましたが、明治40年(1907年)に上部が崩され「いもり堀」とともに埋められてしまいました。
平成15年(2003年)に発掘調査が行なわれ、現存石垣の上部に新しく石垣を積み上げ、平成22年(2010年)に復元されました。写真の上2/3くらいが新しく積み直された石垣です。

金沢城004
左に見える石垣は「辰巳櫓跡」です。

金沢城002
金沢城で最も美しいと言われた石垣が復元されました。

金沢城005
「辰巳櫓跡」の石垣です。
この石垣、現在は段々になっていますが、築城当時はひと続きの髙石垣だったようです。

金沢城007
お堀通り(百間堀)から見た「石川門」

金沢城039
現在のお堀通りは「百間堀(ひゃっけんぼり)」という水堀でした。
上に架かる橋は「石川橋」で左が「兼六園」、右が「石川門」です。

金沢城038
お城を半周しました。現存するただ一つのお堀「大手堀」です。

金沢城045
大手掘の石垣です。

上段の石垣は寛政11年(1799年)の地震で崩れたものを翌年修築したもので、大手門を形成する石垣になります。堀際の石垣は築城時(慶長)のものと考えられています。

金沢城047
大手堀の土橋を渡った所にある大手門(尾坂門)跡です。
右に直角に曲がる「枡形」になっています。

こちらが本来の金沢城の正門となる「大手門(尾坂門)」です。
巨大な割り石を使用した「打込みハギ」の石垣が、往時の強固な大手門をしのばせます。ひと際大きな石は「鏡石」と呼ばれるもので、一般には城の正面に用いられ、城の威厳を示すものといわれています。

佐久間盛政の頃、大手門は西丁口(現在の黒門)にありましたが、前田利家が入城した後に大手門を尾坂口に改めました。大きな枡形で城内でも屈指の大きな櫓台を備えていますが、現在残っている絵図ではすべて「櫓台」として表記され、櫓がのっていた事実は確認されておらず、門扉として木戸が設けられていたようです。

金沢城049
大手門櫓台の内側ですが、石段がある以上何らかの防御壁があったとも考えられます。

(何か石垣ばっかりやなぁ( ̄▽ ̄)お城は?)
金沢城は『石垣の博物館』と言われてるからね(*^^*)
(見てる人飽きちゃわないか?)
そうかなぁ?これから有名な石川門へ回りますから(^_^;)
ところで、石川門って裏門だって知ってた?
(兼六園から橋を渡った正面の門だから正門じゃないの?)
そうなんだよね。兼六園の向かいだし、有名な門だから結構正門だと思ってる観光客が多いけど、実は「搦手門(からめてもん)」と言って金沢城では裏門にあたる門なんだって。
で、正門にあたるのが上の写真の石垣だけの「大手門(尾坂門)」(^_^)v
(ふーん、どっちにしても石垣だらけだな…)

金沢城037
石川橋まで戻り、橋からお堀通りを見ています。
現在は百万石通りに繋がる幹線道路で、ここが昔はお堀だったとはとても思えません。

金沢城040
が、明治20年頃の「百間堀」の写真を見ると…確かに満々と水を貯えたお堀です(^_^)v
左が「石川門」ですので、中央が昔は土橋(盛り土)だったいう「石川橋」です。

金沢城006
石川橋から見た「石川門」、石川門は修復工事中でした。

金沢城008
天明8年(1788年)再建の「石川門」と「二重櫓」です。

金沢城043
屋根瓦は「鉛瓦(なまりがわら)」のため、雪の様に白く見えています。

金沢城028
前田家の梅鉢(うめばち)の家紋で飾った鉛瓦です。

この鉛瓦は、焼いた瓦ではなく木材を瓦の形(1枚の大きさは、おおよそ44~45cm×19~20cm)に作り、その上に厚さ4.5~7.6mmの鉛板を銅釘で打ち付け、木の型に鉛板を押し当てて、木槌で叩いて作った物です。
江戸時代、城の全ての屋根に鉛をかぶせたのは江戸城を除けば加賀藩だけで、金沢城の諸建造物と、かつては加賀藩が支配していた越中高岡の瑞龍寺(ずいりゅうじ・2代藩主前田利長の菩提寺)の仏殿ぐらいでした。

なぜ鉛瓦が使用されたのかについては、北陸の冬の寒さ、雪や凍結から瓦の破損を防ぐ。また戦時には鉄砲の弾丸として利用できる。など諸説ありますが、戦時に鉄砲の弾丸にするのは『泥棒を捕らえてから縄をなう』式で余り役に立つとは思えず、白く輝いて美観に優れることと、当時は鉛が多量に余っていて安価だったからという説が有力なようです。

金沢城010
刻印が残る石川門の石垣。

この刻印は、石垣普請に携わった加賀藩の家臣や、石工集団の符牒のために印されたもので、金沢城の石垣全体の刻印は1400余りあるといわれています。

金沢城009
石川門の一の門(高麗門)、中に入ると右に直角に折れて二の門(櫓門)があります。

「石川門」は三の丸の搦手門(からめてもん・裏門)で、石川郡方向に向いているため名付けられたといわれ、金沢城にとって重要な門の一つです。
この門は、前田利家が金沢城に入った時にすでに建てられていたそうですが、宝暦9年(1759年)の大火により焼失し、天明8年(1788年)に再建されました。現在の石川門は再建当時のものです。
櫓門、2重櫓、多聞櫓、表門、南北の太鼓塀が組み合わされた「枡形(ますがた)」と呼ばれる複雑な二重の防御構造で構成され、櫓や櫓門には石落し、1間ごとに鉄砲狭間が設けられています。100万石の大大名の格式と威厳を示すため、唐破風や入母屋破風の出窓などを随所に設置し、実践的で秀麗な建物になっています。

金沢城042
この模型は一般的な「枡形門」の形式です。石川門も同じ構造になっています。

最初の門をくぐると四角く囲まれた空間になっています。その先には右に折れ曲がって更に門があり、囲まれた空間を設けることで、守りを厳重にした構造になっています。攻め込んだ敵はこの枡形で三方から集中攻撃を受けることになります。これを「枡形・枡形虎口(ますがたこぐち)」と呼んでいます。

金沢城012
高麗門内、枡形(ますがた)から見た二の門(櫓門)。くぐると三の丸に出ます。

金沢城011
門内の石垣と「海鼠壁(なまこかべ)」です。

石川門の見所のひとつ、左右違った積み方がされている戸室石(とむろいし)の美しい石垣です。左側は「打ち込みハギ積み(形や大きさを揃えた割り石を積み上げたもの)」、右側が「切り込みハギ積み(石を削り隙間なく積み上げたもの)」と呼ばれるものです。
特に「切り込みハギ積み」は、隙間にカミソリの刃も通らないと言われるほどの正確さで積まれています。

雨や雪が当る腰壁には、白と黒のコントラストが美しい「海鼠壁(なまこかべ)」が使われています。これは平瓦を壁面に貼り付け、目地を漆喰(しっくい)で固めたものです。
この塀には鉄砲狭間が等間隔に設けられ、表が四角い平瓦でカモフラージュされており、内側から突き破って鉄砲で攻撃できるような仕掛けになっています。

次回は、二の門(櫓門)をくぐった三の丸から紹介します。

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