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歴史のいたずら・京都の東照宮②

  • 2013/09/26(木) 11:19:51

御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)境内末社東照宮 ■所在地/京都府京都市伏見区御香宮門前町 ■主祭神/神功皇后 ■創建年/不詳

(参拝日/平成25年3月26日)

前回の続きです…

参道を抜けるといよいよ拝殿が見えてきます。

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こちらは軒の唐破風の彫刻が見事ですね。

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近寄って見るとこんな感じです。極彩色に圧倒されます。

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蟇股の中央には三つ葵、左右に桐紋、菊紋の金具が打ってあります。

正面軒唐破風(のきからはふ)は、手の込んだ彫刻によって埋められています。向かって右は「鯉の瀧のぼり」、龍神伝説の光景を表し、左は琴高仙人(きんこうせんにん)が鯉に跨って瀧の中ほどまで昇っている光景を写しています。この拝殿は伏見城御車寄(くるまよせ)の拝領と誤り伝えられる程の豪壮華麗な建物です。
平成9年6月に半解体修理が竣工し、極彩色が復元されています。

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三つ葵の金具をアップ!m(_ _)m

この拝殿は、寛永2年(1625年)、表門と同じく紀州徳川家初代の徳川頼宣(家康公11男)の寄進によるもので、桁行7間、梁行3間、入母屋造、本瓦葺の割拝殿(わりはいでん)形式になっています。
神社建築では、拝殿は本殿よりも大きく建てられ、床を張るのが一般的ですが、「割拝殿」というのは、拝殿と本殿が離れており、中央が土間で通行可能な通路が設けられた形式です。

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割拝殿の通路、正面奥が本殿になります。

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本殿の遥拝所、当然参拝はここからです。奥に見える本殿も何やら凄い彫刻が…

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撮影出来るのはここまでです。左右に随神様がお祀りしてあります。

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本殿向かって右の阿形の随神様です。随神とは神様をお守りするため
武士の姿をしています。

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こちらは本殿向かって左の吽形の随神様です。

いずれも傷みが目立ったため、昨年18年ぶりに修理、漆の塗り直しがされた様で極彩色が甦っていました。

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慶長10年家康公造営とあります。

正面から「本殿」は見えませんので脇へ回ってみました。

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透塀から見える本殿ですが、かなり大きい(*゚▽゚*)

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アップ!こちらも極彩色の彫刻が!

この「本殿」は、慶長10年(1605年)、家康公の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立されました。大型の五間社流造(ごけんしゃながれづくり)で屋根は桧皮葺(ひわだぶき)、正面の頭貫、木鼻や蟇股、向拝の手挟(たばさみ)に彫刻を施し、全てを極彩色で飾っています。
背面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵が描いてあるそうです。全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和60年5月18日重要文化財として指定されています。
造営以降、江戸時代の社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、尾張、紀伊、水戸の徳川御三家の寄進金と氏子一般の浄財で行われ、大修理時には、神主自ら江戸に下って寺社奉行に出願して徳川幕府直接の寄進を仰いだといわれています。

平成2年より着手された修理により約390年ぶりに極彩色が復元されています。

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当然こちらも三つ葵紋ですね(^-^)

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「都名所図会(みやこめいしょずえ)」に描かれた「拝殿」と「本殿」です。
ちゃんと「割拝殿」として描かれており、通路も正確です。

次は、ここでのメインイベント「東照宮」を参拝します。上の図でいうと、本殿右手(東側)に「東照宮」と描いてある場所です。
現在、京都市内で東照宮のある場所は、こちら御香宮と南禅寺の塔頭(たっちゅう)で金地院(こんちいん)の2箇所しかありません。以前は東本願寺にもありましたが、幕末の元治元年(1684年)「蛤御門(はまぐりごもん)の変」の際の大火で消失してしまったとか…。

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こちらが近年東本願寺で見つかった「東照宮御霊殿」の鳥瞰図です。

建立されたのは「東照宮御霊殿」で、家康公を祀る日光東照宮の分社にあたり、文久2年(1862年)、公武合体で孝明天皇の妹・和宮と結婚した14代将軍・徳川家茂(いえもち)の入洛に合わせて、真宗大谷派の本山・東本願寺(京都市下京区)境内に落成しましたが、2年後の禁門の変「蛤御門(はまぐりごもん)の変」の大火で焼失。
これまで棟札の記録のほかに手がかりがなく、一般には知られていない幻の東照宮でしたが、近年、東本願寺の幕末史料約6千点が見つかり、真宗大谷派と大谷大が鳥瞰図(ちょうかんず)などを確認したところ東照宮と確認されたそうです。
調査によると、阿弥陀堂の南西に隣接する南北30m、東西60mほどの敷地に築地塀を巡らせ、大規模な唐門や回廊のある拝殿が建立され、参道を進み、唐門をくぐって拝殿に参拝する形式だったとの事。

もともと東本願寺は、慶長7年(1602年)に家康公から境内地の寄進を受けて建立されており、幕府との関係が深かった寺院で、分社建立の翌文久3年(1863年)には徳川家茂が、徳川将軍として約230年ぶりに入洛。孝明天皇と会見し、東本願寺にも立ち寄っています。(因みに西本願寺は反徳川で有名)
確認された史料には家茂や15代将軍・徳川慶喜のほか、京都守護職だった会津藩主・松平容保(かたもり)の参拝の記録も残っているそうです。

しかし、鳥瞰図を見ただけでも凄い規模の東照宮ですね。今残っていれば二条城の二の丸御殿に匹敵する豪華さだと思いますが見れないのが残念!傾きかけた徳川幕府が将軍家茂の上洛を前に、将軍の宗教的権威を京都で誇示しようと威信をかけた事業だったのは間違いないでしょうね。

で、本命のこちらの東照宮ですが、名所図会では確か本殿の右(東側)にあるはずなんですが…。
んんん?無いぞ!!一体何処に?

続きは次回。(妙に引っ張るなぁ…)

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