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王命によって催さるる事①

  • 2013/10/06(日) 11:14:09

應夢山 定光寺 (おうむざん じょうこうじ)尾張藩主徳川義直廟所 ■所在地/愛知県瀬戸市定光寺町373 ■山号/應夢山(おうむざん)■宗派/臨済宗妙心寺派 ■本尊/延命地蔵菩薩 ■創建年/建武3年(1336年)■開山/覚源(かくげん)禅師

(参拝日/平成25年9月17日)

愛知県の瀬戸市といえば、陶磁器、焼きものの通称「瀬戸物(せともの)」の産地として有名な街ですが、この瀬戸市の北東の丘陵山地、岐阜県多治見市との県境にあるのが、徳川御三家筆頭、尾張徳川家藩祖の徳川義直の廟所がある「應夢山 定光寺(おうむざん じょうこうじ)」です。
山肌のすぐ近くを流れる玉野川(庄内川)に沿った崖っぷちに立ち、秘境駅の雰囲気を持つことで有名な、JR中央本線定光寺駅からは徒歩15分〜20分で、名古屋の奥座敷とも言われ、春の桜、秋の紅葉で有名な古刹です。

定光寺は、南北朝時代の建武3年(1336年)の創建で、寺伝によれば、当時鎌倉の建長寺で修業していた覚源禅師が、ここ瀬戸の「水野の郷」を訪れ、座禅や托鉢、開墾をしながら自給自足の生活をしていました。
ある夜、座禅中に仏が岩の間から出てくる不思議な夢を見、弟子と山中を探したところ、夢のとおり、岩の間から仏像が出てきたためこの地に一寺を建立し、夢に応じる山として應夢山、光が定めたとして定光寺と名づけたといわれています。
後に尾張藩主となった徳川義直が生前、この境内や山林を時々訪れ、この地を深く気に入った義直の遺言により、慶安3年(1650年)に義直が没すると、その翌年から3年をかけて源敬公廟(徳川義直廟墓)が造営され、以後、尾張徳川家の菩提寺となりました。

私は、小学校か中学校の時に、遠足でここに来たと思いますが、今回参拝しても当時の記憶は全く残っていませんでした。確かに、小学生や中学生がお寺を見ても面白くないですし…。
しかし、こんなに素晴らしいお寺だったとは、思ってもいませんでした。特に、尾張徳川家にとっては聖地とでもいう場所で、徳川家ゆかりの寺社巡りには外せないお寺ですが、近くて遠い瀬戸市?もっと早く参拝すれば良かったです。

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「尾張名所図会」に描かれた定光寺です。

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参道の入口、こちらも前回の長保寺と同じく鬱蒼としています。

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上の画像と同じアングルで撮られた戦前の絵葉書。
右の大きな石碑は現在はありません。

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定光寺参道・徒歩10分、階段165段となっています(^_^;)

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この石橋は、尾張名所図会で「下馬橋(げばばし)」として描かれている「直入橋(ちょくにゅうばし)」です。

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「直入橋(ちょくにゅうばし)」の案内板です。

「直入橋(ちょくにゅうばし)」は、定光寺の参道入り口の池にかかる橋で、この橋の前で参拝者が馬を下りたことから「下馬橋(げばばし)」ともいわれていました。義直の長男・尾張藩2代藩主の徳川光友(みつとも)が、時の奉行 熊谷政実に命じて架設させた石橋で、承応2年(1653年)2月に着工し、同年5月に完成しました。
橋は全て花崗岩で出来ており、その構造は池の両岸の石積みに、長さ6m以上もある三本の橋桁を渡し、その橋桁に主な橋部を組み合わせています。江戸時代には、池に蓮を植えたり、参道に桜並木をつくるなど、橋とよく調和した風景であったため、定光寺における優れた景勝である「應夢山十境(おうむさんじゅっきょう)」の一つとされていました。

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戦前の絵葉書に見る「直入橋」です。

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同じく戦前の絵葉書。芸妓さんでしょうか?日本髪の女性が写っています。

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直入橋を渡り、鬱蒼とした参道の石段を登って行きます。

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こちらも戦前の絵葉書の参道ですが、周りの樹木も太くて
古刹の雰囲気がよくでています。

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徒歩10分?で、やっと山門が見えてきました。

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戦前の絵葉書の山門です。こちらに写っている樹木も太い!

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現在の山門です。

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臨済宗妙心寺派「應夢山 定光寺」の表札。

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戦前の絵葉書の山門と鐘楼ですが、昔の方がいい雰囲気です。

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山門をくぐると、いよいよ重要文化財の本堂(仏殿)です。

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「無為殿(むいでん)」の扁額は、尾張徳川家20代当主・徳川義知(1911年〜1992年)の筆です。

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国指定重要文化財の札が揚がっています。

定光寺は、火災や地震等の災害のため、創建以来の建物は残っていません。現在の本堂は天文元年(1532年)の焼失後、天文3年(1534年)に再建されたもので、定光寺に残る一番古い建物です。
本堂は桁行五間、梁間五間の正方形で、裳階(もこし)がついているため、二階建てに見えますが、実際は一階建で、昭和12年(1937年)の解体修理の際に、屋根の形を変更し、現在の禅宗様の入母屋造りに復元されました。屋根は厚さ3mmの薄い板を重ねて葺く柿葺き(こけらぶき)で、組物や桟唐戸、本尊が納められている厨子など、典型的な室町時代中期の禅宗様式がみられます。

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で、この戦前の絵葉書ですが、どうも現在と屋根の形が違うようです。昭和12年の解体修理以前の撮影ではないかと思います…。

直入橋、参道、山門などの戦前絵葉書を紹介しましたが、いずれも撮影年代は不詳となっていました。
この本堂の写真を見る限り、明らかに屋根の勾配が現在とは違っていますので、この写真に限っては昭和12年以前の撮影ですね(^-^)v

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こちらも解体修理以前か?屋根の反りが無いように見えますが…?

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この写真は昭和12年の解体修理以降のようです。

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「定光寺寳物」こんな物(失礼!)まで絵葉書になってるんですね…。

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本堂内部、本尊は延命地蔵願王菩薩。他に千体他地蔵などを祀っています。

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境内の「観音堂」、聖観世音菩薩、薬師如来、毘沙門天などを祀っています。

次は、いよいよ徳川義直の廟所「源敬公廟(げんけいこうびょう)」を参拝します。

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「源敬公廟」の案内板です。

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やっぱり簡潔にまとめていますね(^_^;)

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「源敬公廟」の拝観受付と御朱印受け所ですが、誰もいません…。

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廟門、拝観料100円を入れて下さいと書いてありましたが…

御朱印もいただきたかったので(これが本命)庫裡へ廻り、例によって「ピーポーン!」で、「御朱印いただけますでしょうか?」
しばらくお待ち下さい…(良かった!留守じゃなかったぁ!)書いておきますので、参拝の後で寄ってください。で、御朱印料ともで400円を収めて「源敬公廟」へ向かいました。

次回に続きますが、次回は、ここに葬られている徳川義直の事からご紹介します。

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