スポンサーサイト

  • --/--/--(--) --:--:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

家康に過ぎたるものは二つあり

  • 2012/12/17(月) 17:58:30

龍城神社(たつきじんじゃ)岡崎東照宮 ■所在地/愛知県岡崎市康生町561 岡崎公園内 ■御祭神/徳川家康公、本多忠勝公、天神地祇、護国英霊 ■創建/寛永年間、徳川家康公を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀る

(参拝日/平成24年10月8日)

ここ龍城神社は、岡崎東照宮ともいわれ徳川家康公と、徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康公の功臣として有名な本多忠勝を合わせて祀る神社です。

社伝によると、寛永年間のころ徳川家康を祭神として東照宮を岡崎城天守に祀り、明和3年(1766年)、岡崎藩主本多忠粛により東照宮を岡崎城三の丸に遷座。本丸には本多忠勝を祭神(映世大明神)とする映世神社を創建。
明治9年(1876年)、東照宮を岡崎城本丸に遷座し映世神社と合祀して龍城神社に改称。明治13年(1880年)には岡崎東照宮に改称。大正元年(1912年)、再び龍城神社に改称。前身となった東照宮、映世神社はともに岡崎城の建物内に祀られていたため最初に社殿が造営されたのは明治9年(1876年)であったという。この社殿は昭和23年(1948年)に焼失し現在の社殿は昭和39年(1964年)の再建で、このさいに天神地祇、護国英霊を合祀し現在に至っています。

本多忠勝といえばタイトルにも書きましたが、「家康に過ぎたるものは二つあり 唐のかしらに本多平八」(「唐のかしら」は家康が集めていたヤクの尾毛を飾りに使った兜)といわれた徳川家きっての勇将です。幼い頃から家康公に仕え、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前哨戦である大高城兵糧入れで初陣。その後、生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及ぶも、いずれの戦いにおいてもかすり傷一つ負わなかったと伝えられています。

特に元亀3年(1572年)家康公が武田信玄に大敗北を喫した「三方ヶ原の合戦」の前哨戦「一言坂の戦い」で殿軍を努め、武田軍の馬場信春の部隊を相手に奮戦し、家康公率いる本隊を逃がす撤退戦を無事に完了。この時に忠勝は味方を退却させるために敵と味方両軍の間に割って入り、蜻蛉切り(トンボ切り・忠勝愛用の槍)を頭上高く振り回して踏み止まり、さらに武田軍が追撃しようとするたびに数度馬首を返し、見事な進退で殿軍を勤めています。(まるで見てきたようですが…)

この戦いの後に武田軍のある武将が忠勝の活躍を賞賛し、徳川家康には凄い家来がいる!「家康に過ぎたるものは二つあり 唐のかしらに本多平八」という忠勝を称える狂歌を書き有名になりました。
殿軍(しんがり)というのは退却戦ですので討死の可能性が高く、忠勝の祖父も家康公の父、松平広忠の重臣でしたが天文14年(1545年)、三河安祥城をめぐる織田信秀との戦いで敗北した松平広忠を逃がすため、身代わりとなり殿軍を務めて討死(父親も同じく討死)しています。
元亀元年(1570年)の織田・徳川軍VS浅井・朝倉軍の「姉川の戦い」では、家康公の本陣に迫る朝倉軍1万に対して無謀とも思える「単騎駆け」を敢行。『平八を死なすな!』と必死に忠勝を救おうとする徳川軍の行動が反撃となり、朝倉軍を打ち崩し、劣勢だった織田・徳川軍が勝利したといわれています。忠勝さん死ななくてよかった!

しかし、忠勝さん強い!かすり傷一つも負わなかった?普通は一軍の将は戦いで最前線に出る事はないから、怪我なんかしないのは当然でしょ?と思われがちですが、この忠勝さん戦場ではいつも軽装備。「姉川の戦い」に見るように「単騎懸け」で何度も敵陣に突っ込んで戦ったそうです。この逸話が本当ならとんでもなく強い武将という事になります。
同じ徳川四天王で「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊直政も、やはり一軍の将となっても自ら先陣に立って戦うことを好んだ激烈な性格で、陣に留まって指揮を執ることはほとんどなかったそうですが、直政は重装備でも常にどこかに傷を負っていたといわれています。まあ、これが普通の感覚です(笑)

龍城005
こちらの画像が本多忠勝です。怖い顔ですね(T . T)
兜は「鹿角脇立兜」、肩からは自らが葬った敵を弔
うため、大数珠をさげています。

この有名な鹿の角の脇立ては、何枚もの和紙を貼り合わせて黒漆で塗り固めたものです。一見重く見えますが和紙の張りぼてですので軽いです。兜の鉢は鉄製なので前立て、脇立てまで鉄や金属だと重くてとても実戦には使えません。ほとんどが和紙か、軽い桐の木などで作られたようです。
前立て、脇立て=消耗品。現存する戦国時代の兜の前立てが欠損している例が多いのはそのせいなんですね。

龍城002
岡崎城公園にある本多平八郎忠勝の像です。
右手に持っている槍が「蜻蛉切り」 。穂先に止まった蜻蛉(とんぼ)が真っ二つになったという逸話からこの名が付き、「天下三名槍」の一つといわれています。(実はこの槍、徳川に祟りをなす例の村正であったとか…)

龍城001
出ました!真打ち!同じく岡崎城公園にある徳川家康公の像です。
家康公といえば、どうしてもこの小太りなイメージですね…
立派な像ですがやはりどこか狸親父風?

龍城003
龍城神社の隣が岡崎城です。今回は龍城神社がメインなので岡崎城は
何げにスルー(笑)

龍城004
こちらが龍城神社の拝殿ですがメインの割に画像はこれだけですf^_^;)

こちらの東照宮、昭和の再建ということで岡崎城とともに、コンクリート造りですので残念ながら建物自体に特に見るべきものはありません(あくまで私見ですが…)。

龍城G
龍城神社でいただいた御朱印です。
右から、岡崎東照宮 龍城神社(たつきじんじゃ)日付です。

建物に見るべきものがなくても、葵の御紋入りの御朱印をいただいただけで私的には、おKです(*^^*)

今回もまたまた長文、失礼いたしましたm(_ _)m
次回は、同じ岡崎市内の「伊賀八幡宮」をご紹介します。

スポンサーサイト

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。